夢の超特急「新幹線」50年

新幹線が50年になると、テレビで報道していた。
日本の高度成長の旗頭、象徴、夢の超特急「新幹線」!と。

 

子供の頃が思い出される。


東京オリンピックに向けて日本中が浮き足だっていた。

 

なんでも「新幹線」なる夢の超特急が走るようになるらしく、

それは、時速200キロを超える超高速で走るらしく、

世界で初めて日本が達成する快挙で、云々

 

 

ただ、その頃、8マン(エイトマン)というアニメがあり、

エイトマンは新幹線より速かったが。

 

 

しかし、そんなことは田舎の子供には、はるか遠い世界のお話だった。

 

 

それが、日頃の遊びの守備範囲の中に、線路の堤防が築かれ始め、

にわかに、現実のものとして、東京が、オリンピックが、近づいてきた。

 

家から1キロくらいのところに堤防ができていくのだ。

工事中の堤防には子供でも容易に登って遊ぶことができた。

今なら、安全管理だ危機管理だ云々で近づけもしないだろう。

 

のどかな良き時代だった。

 

堤防に登ると、

いつも遊ぶ友達の家の屋根が見下ろせ、

いつも魚を捕る川が畝って望めた。

 

まるでお山の大将になったように、

堤防は、僕らの遊び場になって、想像を膨ませ、

胸を張って闊歩し、息を切らして走り回った。

 

今この堤防を東に向かって歩いて行けば、

「東京」に「オリンピック」にたどり着くことができる。

 

西に向かっていけば、日が落ちる場所を見ることができる。

とは、思わなかったが^^;天竜川はすぐそこだ。

 

しかし、いつか堤防には柵が施され、僕らの遊び場は奪われた。

そして、時速200キロで夢の超特急「新幹線」が西へ東へ疾駆して行った。

 

新幹線は日本の夢と誇りを乗せて、
同時に僕らのあこがれも乗せて、東海道を走り始めた。

 

それから、50年が経ったという。

 

あんなものに乗れる人は、いったいどういう人たちなのかと、

自分が乗れる日がくることなど想像の域に無かった新幹線も、

今や、当たり前のように乗っている。

 

学生時代にお金が無くて、

大阪から帰省するのに、在来線を乗り継いで6時間かけて帰ってきた。

お金は無かったが時間と余裕があった。

夢も持っていたような気がする。

 

歳月が過ぎ、僕らの夢は叶ったのか失くしたのか、

新幹線はリニアモーターカーへと最速を譲ろうとしている。

 

リニアモーターカーは「夢の超特急」じゃないのだろうか。

新しい世代の新しい夢と誇りを乗せて走るんじゃないのだろうか。

 

新幹線もリニアモーターカーも時代を牽引する象徴的存在ではなくなったのか。

 

でも、孫は新幹線を喜んでくれるし、ドクターイエローはヒーローだ。

 

新幹線は、まだまだ子供達の夢を膨らめ、その夢を運ぶに違いない。

“夢の超特急「新幹線」50年” への2件の返信

  1. こんばんは。

    そんなものでしたね。
    あのころは、新幹線に乗れる身分に成れるなんて
    考えられませんでしたよ。

    中学の修学旅行で初めて乗った時、早いなぁと
    思ったのが初めてでした。

    大学の時は、東京からの帰省にはもったいなくて
    乗れませんでした。50ccのバイクで帰るか、
    こやまんさんと同じく5時間かけて、在来線で
    帰ってきましたよ。

    最近の新幹線はなぜかなじめませんね。リニアも
    そうですが、あのような形は好きになれません。

  2. 温泉あまごさん、こんにちは。

    確かに、初代の0系新幹線には愛着がありますね。
    最近のくちばしの尖った超流線型の新幹線は近寄りがたい気がしますね。

    年寄りのグチですかね^^;

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