震災から学ぶこと

熊本・大分の大震災から一ヶ月が経過しようとしていて、
いまだに揺れのニュースがテレビ等から伝わってくる。

大きな地震があると、取ってつけたように、
「備えをしなくちゃ!」と思う。

bitiku

阪神淡路大震災の時、
震災から何ヶ月かの後、神戸を訪れて、その爪痕に愕然とした。

帰って、家の家具を固定した。

 

東日本大震災の時、
震災から一ヶ月後に、三陸を訪れて、その壮絶な風景に言葉を失った。

帰って、3日分の飲食等の備蓄をした。

さらに、透析がどうなるのか、病院に確認した。が、
地域医療体制として、なんら有力な事前対策がなされていないことだけがわかった。
これは出たとこ勝負になることを覚悟した・・・・・。

 

東日本大震災の三年後に、
福島の原発事故による帰宅困難区域を訪れ、その荒寥とした風景に心が折れた。

帰って、原発を強く反対しようと思い、太陽光発電を取り付けた。

 

四年後に、
仙台の海岸部を訪れ、自分の家が建つ平野部の被災の姿を想像した。

帰って、備蓄を一週間分に増やし、避難用品の準備をした。

 

 

五年めの今年、
三陸で被災した友人(こちら⇒)を訪ねようかと連絡してみると、
うつ病で入院しているという。

津波で家を流されたが、
この五年でなんとか家も立て直し、仕事もしていたのに、
やっと一息ついて気力がわかなくなってしまったのだ、という。

そういう人が多いのだという。

気を張り詰めて、必死の思いで生きてきたのに、
人生まで奪われてしまわないかと心配する。

 

そして今回の熊本・大分の大震災、
勤めていた会社の熊本工場が震源地の隣町にあり、無残な姿に心が痛む。

テレビ等のニュースでは、被災者の避難生活の苦難が映し出される。

少しでも垣間見ておいてみるか。と、
妻と備蓄したご飯を冷たいまま食べてみる。

泣けてきた。

ひょっとしたら家族を亡くし、家を失くし、
その上、放り出された避難所では雨にまで打たれ、
やっと口にした食べ物が冷たい・・・・・・・。

「携帯コンロ、備蓄に加えておこうか」

やっとの思いで、冷たい非常食のご飯を食べ終えた。

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