2016年9月30日で、透析もまる8年が経過する。
そして、9年めに突入する。
この日は、否が応でも透析のことを特別に考える。
さすがにもう、透析のことは日常化しており、
このブログのタイトル通り、透析を苦になんかしてはいないけど、
透析を課せられた宿命というか人生というか、何なのかなって。
昨年までは、
透析が仕事に与えた影響というか、仕事への姿勢の変化というか、
働くという視点がけっこう心を占めていたように思う。
それゆえか、何かとにかく前向きに捉えようという意気込みというか、
無理やりな気負いみたいなものに占められていたように思う。
それが、今年は4月に60歳定年で退職させてもらって仕事を離れ、
かれこれ半年が過ぎて仕事が頭から離れたことにも慣れると、
あんなに働くことに心を占められていたのは何だったのだろうというほど、
働くという視点は浮かび上がってこない。
・・・・ねばならない、
・・・・するべき、
そういう考え方しかできない性分だったけど、変わったのかな?
よくとらえれば、自然体で居られるようなってきたってことなのか?
いや、そんな簡単に性分は変わらないか。
さらには、透析の余命9年というデータのことにも大して心が動かず、
7年めや8年めに大上段に構えていたこともなんだか滑稽に思えてしまうほど、
きわめて平静というか無感動・無関心というか、
これじゃちゃらんぽらん過ぎないかと思えてしまう。
透析に突入する直前に、
一日おきに透析に通うようになると、もう2泊以上の旅行は行けなくなると思い、
張りつめた思いで、女房と下呂温泉・高山・乗鞍へ2泊の旅行に出かけた。
その時、乗鞍は雨模様で視界ゼロで、透析後の人生を象徴しているようだった。
あれからまる8年、もう一度乗鞍へ
やっぱり今回もまた霧は晴れきっていなかったけど、
それでも時折の風に霧が流れて眺望を楽しめる瞬間が ^^
この先の人生が見え隠れしているってことなのか。
透析じゃなかったら、仕事を離れたこの人生がどれだけ自由だろうかと、
憧れのように思わないでもないが、
透析に通うことが唯一決められた日常のリズムになっていることも事実で、
透析が変えてくれた人生だとも思えるし、
変わらないことは、透析の前も後も、定年退職の前も後も、
妻が変わらず命綱で居てくれるってこと。
平均余命の9年めを難なく乗り越えて、
透析はあるけど自由な人生を享受する在り方に慣れていこうと思う。