公立福生病院(東京都福生市)で、
人工透析治療をしない選択をした女性が死亡したという事件。
新聞・テレビ等マスコミでいろいろに報道されている。
ネット上でも様々な記事が乱れ飛んでいる。
おそらく、
真相が明らかでないままの報道が繰り返され、
知った風な専門家の評価などが無責任に報道され、
その真相は報道されないまま話題にあがらなくなるのだろう。
それでも、
「透析」のことが報道されるのは珍しいので、
いい機会になるのかな、と思ったりしながら…。
家内には常々、冗談とも本気ともなく、言っていた。
「認知症とか、そこまでいかなくても、意思疎通が怪しくなったら、
その時は、透析に通わせなくてもいいから」と。
言ってることが伝わらない、何を言っているのか解らない、
自分がそんなボケた状態になってしまったら、
それ以上の老後の暮らしを夫婦二人で続けていくのは、
お互い不幸でしかないように思えて。
透析を中止したら、何日くらいで、どの程度苦しむのか、
そういう知識も何も持たないのに、死ねることだけは確かだろうと、
その程度の認識でモノを言っていた。
亡くなった事件の患者さんはどの程度の知識を持たれていたのか、
選択肢を提示された医師は、患者のことをどの程度承知していたのか、
その上で、どういう言葉でどの程度に話し合えたのか、etc…
思えば「透析」という治療について、
私は、医療機関から懇切丁寧充分な説明を受けた覚えがない。
もちろん、充分な知識を得ようと努力しなかった自分も悪いが、
「透析」という言葉が医師と患者の認識の違いを無視して、
共通語のように扱われていたように思う。
本当は「透析」になる前に知識を得て、充分に納得して、
家族や周囲の環境も整えて、生涯の覚悟を決めて、決断する。
「透析」は、そのくらいのことが必要な重大事だと思う。
もちろん、私にも透析を開始する旨の打診はあり、
それに対して承諾したことは事実だが。(その時の話はこちら⇒)
それにしても、
「透析」を開始する判断が何をもってなされるのか、
それがいまだに疑問で仕方がない。
どういう症状だったら「透析」なのか、
どういう検査値だったら「透析」なのか、
私は、あの時、「透析」を始めなきゃいけなかったのか、
(狭心症だった?、の話はこちら⇒)
今回の事件の報道を目に耳にしながら、
「透析」治療の知見はまだまだ充分なものじゃないのかな、と。
結果としての自分の「透析」開始を後悔はしていないが、
この事件をきっかけに、
もう10年を経過してしまっている自分の透析生活を見つめている。
今日は風が強く、花粉症の悪化が心配です、もちろん薬は処方されてるけど。こんにちは、こやまんさんのブログは過去の話を直ぐに読めるから分かりやすいです。過去のブログの殆どは読めてないですから(^o^)。
透析導入は、私も長い保存期はあったけど詳しく知ることはなかったです。ただ透析はもう始めたほうが良い、じゃないと今年中に死亡するという主治医の説明がありました。透析仲間に、突然苦しくなり、腎臓の機能が落ちていることも分からぬまま過ごし、透析導入した女性がいます。水分の多い果物を食べていたら苦しくなったそうで、腎臓がかなり悪いからと直ぐに透析になったそうです。かなり若い時に、何の知識もないままに。今も知識は少なそうですが(^o^)
話題の死亡した女性の詳しい病院とのやりとりはまだ解りませんよね?、死を選ぶには若すぎるし、中止したときどうなるかもあまり理解していなかったようですよね。
ユメさん、こんにちは。
> こやまんさんのブログは過去の話を直ぐに読めるから分かりやすいです。
ありがとうございます。
本当に必要な記事や読みたい記事は、必ずしも新しい記事とは限りませんよね。
私のブログに縁あって遊びに寄ってくれた人が、本当に探しているテーマの記事を見つけられやすいようにしたい、と思ってブログをデザインしています。なかなか思うに任せませんが。
「透析はもう始めたほうが良い、じゃないと今年中に死亡する」って宣告も断定的な宣告ですね。
自信たっぷりの先生で、曖昧に言われるよりこちらの決断もつけやすいのかもしれませんね。
この事件、案の上、2日めには早くもマスコミの話題に上がらなくなりましたね。