透析歴12年め

2019年9月30日で、透析生活もまる11年が経過した。

とうことを、うっかり忘れて9月30日を過ごしてしまった…….。

透析が始まった日(この日⇒)、
それは、それまでの人生がひっくり返ってしまった日であって、
真っ暗で何も見通せない絶望の淵で心を痛めつけられていて、
死ぬまで忘れるはずのない日だった、はずなのに……。

数日前まで、今年も9月30日が来るな、と意識していたのに、
当日にはすっかり忘れて、その後一週間忘れたまま…….。

9/28・29と、九州博多に出かけていた。
南こうせつの野外コンサート(サマーピクニック)があり、
大学の同級生たちとの再会もあり、浮かれた時間を過ごしていた。

明けて9/30は月曜で、浮かれて不摂生するだろう土日の後だけに、
透析の時間を通常の夜から朝にあらかじめ変更してあった。
しんどくて夜まで待てなくなっている予感がしていたから。

だから、9/30はイレギュラーな時間割の月曜日だった。

さらに、9月末から気がかりになっていたのは、
昨年はサボってしまった、伸び放題の家囲いの垣根の刈込み。

今年はやらなきゃいかん、いつやろうか、まだ暑いし、
でももう明日は10月じゃないか、祭りも近くなるし、………。
とりあえず、明日は少しでもハサミを入れよう、
自分にも女房にも世間にも言い訳がたつし、うん、そうしよう。

9/30は、そんなことを考えていて、
翌日から毎日、少しづつ少しづつ刈込みに汗を流した。
それがまた夏がぶり返したような暑さで、
半日作業してバタンキューな意気地ない毎日になった。

だから、と
透析開始記念日を忘れて過ごした言い訳を並べてみた。

が、まぁ、それも確かにあったかもしれないが、
それが10年、11年の歳月ということなのかもしれない。

透析が毎日いつもいつでも心にひっかかって心を痛めつける、
そういうことではなくなっている。

もちろん、今でも、毎日いつもいつでも塩分と水分のことは、
何よりも最優先に心を占めている。が、
心を痛めつけているわけではなくなっている。

それが10年、11年の歳月ということなのかもしれない。
透析のある暮らしが特別なことではなくなっている。
透析のある暮らしが日常になっている。

もちろん、透析さえなければ………….と常に思う。
何を計画するのにも妨げになるから。
だけど、透析があるばっかりにと落胆するわけではない。

いや、落胆することもたまにある……….
心身が弱っているとき、かな?

でも、12年め。
一週間も透析記念日を忘れて、記事に書くこともしないでスタート。
それが12年め。

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