穿刺の時、看護師さんから、「固い」という感想が聞かれ、
それも何人かから聞かれるので、穿刺の位置を変えてみようかなぁ、
と、トライしてみることにした。
透析患者のブログです。2008年、50歳を過ぎて透析生活者となりました。透析になる前のジタバタした苦悩や、その後の透析を苦にしない(時々苦になりますが・・)暮らしや体験を綴った透析ブログです。心臓バイパス手術があったり、チベット体操でダイエットしたり、フォークソング・ライブしたり、トレッキングしたり、そんな内容です。では、どうぞ↓
週末金曜日の透析を終えて、夜の10時半頃、家に着く。
週末のこの時間が一番嬉しい。
これで明日明後日と透析は無いし、仕事も休みだし^^v
が、妻の表情が暗く、
「お父さん・・・・、T君が・・・・・・」
「もう、おたくら、長いだら?」
透析クリニックのロッカールームで、
初めてお目にかかる方から遠州弁丸出しで話しかけられた。
「まだ、8年めに入ったとこですよ」
「んじゃぁ、長いねぇ、いろいろ詳しいだらねぇ」
「いいえ~、勉強不足で、知らないことだらけですよ」
「いやぁ、8年てゆやぁ、もうベテランだもの、わしゃまだ半年でね」
「そうでしたか」
「こんなことになるだったら、もっと気をつけてたになぁ」
「そうですよねぇ、僕も後悔だらけですよ」
「あんたもそうかね、透析だなんて、こんなことになるだなんて・・・・」
どんなに大きな後悔もいつか時間の流れの中に溶け込んでしまって、
透析が当たり前になってしまうのだが(私の場合は)、
この方は、まだまだ後悔の渦にぐるぐるに廻ってらっしゃるようだった。
9月の血液検査の時、
体重が増えている自覚がある(お腹がぽっこりしてきた^^;)のに、
ドライウェイトが63.5kgのまま変わらないのはおかしいと、
疑問に思っていたら、
その後のレントゲン検査のあと、64.0kgに変更になった。
それは、それで想定内なのだが、
レントゲンで心胸比は、47.?%(細かい数字を忘れてしまった^^;)で、
50%は切っていたのだから、ドライウェイトを変更する理由には、
ならないんじゃないのかなぁ、と新たな疑問・・・・。
南こうせつのコンサートに豊橋まで出掛けた。
妻と。
妻とふたりだけでこうせつのコンサートにきたのは、
30年ぶりくらいかもしれない。
いや、初めてかな?
いつだって、友達か、子供たちか、誰か一緒だったかも。
全国亭主関白協会からのメールが定期に届くのだが、
なぜだか、何年も目も通さないでいたのに、ふと読み出してしまった。
秋だからかな?
全国亭主関白協会(略して「全亭協」)から、
初段の認定証と会員証が届いたのは、2006年秋のことだった。
「妻の尻に上手に敷かれる」という考え方に目を引かれ、
面白半分で「関白検定」とやらを受けて入会した。