東日本大震災を想う(3)

大船渡で被災した友人を訪ねた(その話はこちら)。

 

帰ってから、マスコミの報道にも刺激され、いろいろな思いに駆られる。

この経験から何を学ばなくちゃならないのか、

人生に活きた経験としなくちゃ意味ないじゃないか、

・・・・・・・・・

なにか、世界中のなにか、価値観のようななにかが、
確実にターニングポイントを迎えてる時だ。

これまでの常識が常識でなくなった。
世界中が目指す方向にシグナルが鳴った。

難し過ぎることは解らないけど、
忘れずにいること、何かを考えること、逃げないこと、etc
できることから動き出すことだ。

 

人が生きていくうえで、一番大切なモノは何なのか、ってことを考える。

それでいいのか?

それは何なんだ?

 

生きたい生き方ができているか、

家族が寄り添って生きているか、

 

そういうことか?

 

納まらないやりきれない思いを抱えたまま、また時が過ぎて夏が来た。

大船渡で彼は、仮設住宅に移ったという。

 

もう一度、訪ねよう。

その暮らしぶりを応援しに行こう、元気にやってくれ、と。

 

8月、再び大船渡へ向かった。

 

透析は一関の病院に予約した。

 

彼は、仮設住宅も整い、近くの造船会社で仕事に就くこともでき、

将来は見えないが、なんとか一息ついてた。

 

沿岸部を見に行かないかと誘う。

きっとやらなくちゃいけないことが山ほどあって、

それを手伝うことの方がありがたいだろうに、出かけようと誘う。

 

息抜きも必要じゃないか。

 

案の定、出かける余裕もなく日々に追われていたようだ。

 

大船渡・釜石・大槌・山田・宮古と車を走らせる。

テレビの報道で津波が押し寄せてくるところを何度も見た場所がある。

いずれも変わり果てた風景に胸がふさがれる。

 

重機が入らないのだろうか、

自衛隊なのか消防なのか、人の手だけで瓦礫を片付けている。

頭が下がるというか、息苦しくなる。

 

遠野に宿を取り、

仕事のコトとか、家のコトとか、お金のコトとか、

目の前の課題は山積みだけど、

言葉に出来ない言葉を紡いで、

どうやって生きていけば良いのか、

想像できないこれからのことを想像する。

 

ほんとうに大切なモノは何か、

それをほんとうに大切にしてきたか、

これからは大切にして生きていけるのか、

 

大自然は何を教えていったのか。

 

誰もが家族の安否を何よりも案じていたじゃないか。

家族が無事なら何も要らないってほどに案じていたじゃないか。

 

家族を大切にしようと思った。

ほんとうに大切なモノは家族に他ならないんだと思った。

 

遠野の駅前の喫茶店で夜更けまでコーヒーを飲んだ。

 

つづく

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