図書館で偶然手にした本「いのちの停車場」それにつれて「いのちの十字路」「いのちの波止場」…。それは、終末医療、緩和医療、在宅医療、etc…、そういうテーマの本で、読み進めるうちに身につまされ始め…
もしも自分が余命を宣告されたら、毎日をどう生きようか、どう生きたら穏やかに幕を閉じられるだろうか、と、そんなことを考え始めてしまった。しかも大まじめに。
30歳代だったか、余暇の資格を取ろうと余暇の勉強をしたことがある(その話はこちら⇒)。当時は、週休2日性社会が到来するから余暇時間が増える。それをどう過ごすかというのがメインテーマだった。その後、60歳定年退職後の人生を如何に生きるか、みたいなことを考えた。
ただ、いずれも身につまされた思いじゃなく、理屈としての勉強であり、60歳で退職するための身構えのためであった。
だけど、今の気分はちょっと違う。
余命の宣告を受けたら…まずそれを受け止められるかも大きな問題だが…、それは棚に上げて…。
毎日毎日、何をして暮らすか、何をしたいか、何をしていたら心穏やかに居られるか、答えが思い浮かばない…。
小説なんかでは、生まれ故郷に帰って穏やかな日々を送りたいだとか、故郷の海が見たいだとか、子供頃のあの川に釣り糸を垂れてだとか、…違うな…。
余暇の勉強だってしてあったのに、
毎日を過ごせる趣味を身に付けなくちゃって思っていたのに、
何も思い浮かばない…。
ギター弾いて歌を歌って…って、楽しいけど毎日したいほどじゃない。現に何日もギター弾かない日々を過ごしている。
畑仕事…野菜や果物を採るのは楽しいが、草取ったり畑を耕したりはツライだけ。果樹の剪定も面倒なだけ。
読書…本を読むのは好きだが、一時間も読んでいれば飽きてしまう…。
懐かしい人たちに会いに行く…それは余命宣告されない今のうちに動かなきゃ!
いろいろ欲しいけど、どうしても欲しいものはない。
いろいろやるけど、どうしてもやりたいこともない。
何かを忘れて何かに夢中になる、没頭する、という経験がないように思う。そういう性格、たち(質)なんだろうな、きっと。
困った。余命を告げられても、何をしたいわけでも何が欲しいわけでもなく、ただふさぎ込んで日々をやり過ごすことになっちゃいそうだ…。
どうしよう…。
畑は家の隣にあるから最も身近で、野菜や果樹の実りの喜びがあるし、畑を耕したり草を取ったり剪定したりと日々やることはあるし、畑に居ることが心穏やかに居られることになるように見方捉え方を見直してみようか…。
農家の生まれ育ちなのに、農家の暮らしがなんとなくイヤで、農家に目を反らしてきたくせに、農家の暮らしで人生の幕を引くっていうのか…。
いや、農家で暮らしを立てるわけじゃない。農家の暮らしをするんじゃなくて、畑に居ることを趣味にしてみるんだ。
そんなこと理屈でやろうとしたって、出来ないに決まってる…。
って、そんなこと、何をしていたら心穏やかに過ごせるんだろうかって、グルグルグルグル頭の中で思い描いている。

こんにちは。
こやまんさんのちょっとしたつぶやきにも共感し勇気を頂いています。
これからもお体に気をつけて、こやまんさんのペースで発信を続けてください。お願いします。
ここみさん、こんにちは。
まとまりのないつぶやきになってしまっていますね…。そんな投稿にまでつきあってもらっちゃって、恐縮です。
懲りずにまた寄ってください。コメントありがとうございました。
お返事ありがとうございます。
ここみさん、また遊びに寄ってくださいね。