外食すると、ほぼ確実に口の中がベタつく。
なんとかならないかなぁ。
透析患者のブログです。2008年、50歳を過ぎて透析生活者となりました。透析になる前のジタバタした苦悩や、その後の透析を苦にしない(時々苦になりますが・・)暮らしや体験を綴った透析ブログです。心臓バイパス手術があったり、チベット体操でダイエットしたり、フォークソング・ライブしたり、トレッキングしたり、そんな内容です。では、どうぞ↓
「リンもカリウムもコントロールされてますね」
「そうですか、良かった」
「食欲もあるようですし、問題ないですね」
毎月の血液検査の結果が出ると、栄養士のお姉さんが巡回してくる。
「傷病手当の調整が必要ですので、障害者年金の受給額を教えて下さい」
健康保険組合から電話が入る。
「調整」というのは受給額が多くなりすぎないように減らすということなのだが。
透析を受け始めたばかりの頃、
何が何だかわからなくて、何を聞くこともできなかった。
いや、解らないことだらけで、
先生や看護婦さんに何か聞こうと思うことすら浮かばなかった。
「もう一回練習しておくか」
これからライブハウスへ出かけようという段になって、
急に不安でいっぱいで、気持ちが引き気味で、往生際悪く、
もう一回ギターを歌を、練習しようとメンバーにすがりつく。
その頃、世の中には静かに親父バンドのブームが来ていた。
つま恋では、吉田拓郎とかぐや姫が30年ぶりにコンサートを敢行した。
身近なところでは浜名湖フォークジャンボリーが開催された。
高校を卒業し30年ほどが経過した我々は、少しづつ肩の荷を下ろし始めていて、
30年前よりも無邪気な顔をして、高校生のように目を輝かせて集まり始めていた。
旅行先で透析治療を受けることができる。
でも、はじめての時は何をどうしていいやら見当もつかなかった。
いや、そういうことが出来るのかどうかさえ解らなかった。
透析治療は、これまで病気で病院にかかった自分の経験とは異質の治療だと思う。
なにせ、一日おきに通い、毎回4時間とか5時間とかの治療を受けるのだから。
お世話になると決めた病院と心中するくらいの覚悟が必要だ。