フォークソング世代の私は、
ぼちぼちと人生の山を降りていく暮らしの中で、
一日おきに透析治療に通いつつも、
ヘタの横好きのライブを楽しむ今日この頃です。
20代の頃は思っていました。
どこかの企業に就職して、
そうしたら辞めずに定年を迎えるまでその会社で勤め上げるんだ、と。
その間に、結婚して子供を育てて、家を建て、子供たちが独立したら、
その家で妻と二人でつましく生きるんだ、と。
それが、30歳でいきなり崩れました。
勤めていた会社を辞めたのです。
コンピュータ(当時はオフィスコンピュータと言った)を、
企業に売り込む営業マンだったのですが、
いつまでも続けたい仕事には思えなかったのです。
そうかと言って、他に夢があったわけでも、やりたい仕事があったわけでもない・・・。
ただ単に営業の仕事を辞めたかっただけなのかもしれません。
そして背水の陣、借金して家を建てて、会社を辞めました。
すでに子供もひとりいましたが、
最悪の場合、子供はひとりにして、妻とふたりで働けば、
なんとかご飯は食べていけるだろうと思ったものです。
妻もそれに頷いてくれました。
会社を辞めて、経営コンサルタントのところに弟子入りしました。
コンサルタントの先生から勉強してみないかと誘われて、ふらふらっと弟子入りしたのです。
いい就職口が開けるのではないかと期待しつつ、弟子入りしたのです。
勉強して、資格を取りました。
その経営コンサルタントの先生は厳しく、でも、おかげで勉強させてもらい、
経営士と中小企業診断士の資格を取ることができました。
しかし、資格ではすぐに生活は成り立たないから、
経営を実践で身につけるようにと、中小企業に紹介され、就職しました。
子供も3人と恵まれ、
ばりばり働く30代・40代を過ごすことになります。
独立採算のシステム開発部門を任され、
昼夜構わず、休日だろうがなんだろうが、しゃかりきに働きました。
さらに勉強もしました。
産業カウンセラーという資格も取りました。
心理学には学生の頃から興味はありましたし、
これから精神的病は増えそうに思ったものです。
余暇生活開発士という資格も取りました。
余暇時代の到来で特にサラリーマンが余暇をもてあます時代が来るからと。
なかなかそういう時代は来ていないみたいですが ^^;
家庭も振り返らず、働きました。
妻に言わせると、
「子供が3人居るのに、一度もおしめを替えたことないね」
「晩ご飯を家で食べることは珍しかったね」
という、今となってはいい訳も無い始末・・・・・。
40代に転機のようなものはありました。
真ん中の子が、小学校高学年になる時、PTA会長の話が転がり込んだのです。
一番上の子の時には、学校に行ったことはおろか成績だってろくに知らないし、
仕事が忙しいから(といういい訳で)無理だと思いましたが、
選考委員だった妻の困っているのを見かねて、引き受けることにしました。
するとそこには、目からうろこの世界が待っていたのです。
子供たちはきらきら輝いていて、
お母さんたちは、打算の無い世界で子供たちのために立ち居働いているのです。
この美しい世界が地域の財産で、日本の財産だ、と思いました。
自分に何が出来るのか、何をしなくちゃいけないのか、
カルチャーショックの中で夢中に考え、立ち居働きました。
ビジネスの世界とは違った価値観の中で過ごした2年でした。
でも、のど元過ぎて熱さを忘れ、
いつか、家庭や地域のことまでビジネスの対象にとらえ始めて、
今でこそ盛んですが、当時まだ珍しかった地域ブランド立ち上げを軸に、
やっぱりばりばり働きました。
ITコーディネータという資格も取りました。
IT時代を先駆けるつもりでした。
でも、50代一歩手前に完全なる転機が訪れました。
腎臓の機能低下を宣告されたのです。
透析を覚悟しなくちゃならないという。
何も手に着かなくなりました。
何を考えればいいのかさえ、わからなくなってしまいました。
それでも、透析におちいりたくないばっかりに、
必死にダイエットし、減塩生活を送りました。
減塩と腹八分目とチベット体操で、1年半で20kgのダイエットをしました。
ひとりでがんばったような書き方ですが、
振り返れば、妻の献身的な協力なしに出来た話ではないのです。
それに気がつくのが遅すぎるのですが・・・。
しかし、透析は免れられなかったのです。
52歳で透析生活に突入しました。
人生が終わってしまったかのような絶望感の中でしばらく漂いました。
覚悟が決まらず、ふわふわと漂っていたのです。
仕事への意欲も失い、ばりばり働く価値を見いだせなくなってしまいました。
それでも、一年も経てば、一日おきに透析に通う人生にも慣れてしまうものです。
そんな矢先、こんどは心臓冠動脈バイパス手術を受けることになりました。
8時間の手術の麻酔から目覚めてもうろうとする意識の中で、
ベッドサイドに娘と妻と母の姿を認めた時、
ほんとうに大切なものがわかった気がしました。
減塩生活を送り、透析生活に陥って、心臓バイパス手術まで受けて、
そしてやっと気がついたのです。
その暮らしを支えてくれたのは誰なんだ。
共に歩いてくれるのは誰なんだ。
その間、
もう一度ギターを弾かないか、と誘ってくれる友人が居ます。
高校の文化祭で一夜漬けのフォークライブをした同級生です。
でも、自分は、社会に出てから30年、ギターなんて弾いていないし、
ギターももう手元にはないし、人前でできるようになれるとも思えなかったし、
ためらいためらいながら、友人についてライブハウスへ。
そして、今では同級生と、月に一度のペースで一緒にライブを主催しています。
ここに手を差し伸べてくれたのは誰なんだ。
透析のシャントでぼこぼこになっていく腕、
心臓バイパス手術で縫い目だらけの足と胸、
体はぼろぼろになりつつあるけど、
だけど、心は少しづつ豊かになってきているような気がします。
大切なものは何かを思い知ったから。
若い頃に取得した資格はすべて返上しました。
それを頼りにまたばりばり働きかねない自分の愚かさを知っているし、
正直、資格を更新する勉強を続ける気力も無くなってしまったのです。
山を降り始めた人生、
もう、ばりばりは働きません。
体を壊すような真似はしません。
透析とは仲良く折良く暮らし、
その中で自分の余暇を考えたいし、
ダイエットしたからしゃれっ気も出てきたし、
フォークソング歌ってライブもしたいし、
大切な友人たちと旅行にも行きたいし、
家族ともたくさんの時間を過ごしたいし、
何より、
妻との時間を大切にしたい。
ただただ上だけを向いて登って行っていた時の人生、
周りを見渡しながら降りて行く今の人生、
どっちにしても人生にでこぼこはつきものでしょうが、
大切な人と手を携え乗り越えて、
共に豊かな人生にしたいですね。
腎臓や、心臓や、病気の経験から学んだこと、
皆が困難だというダイエットで身につけたこと、
親父バンドでフォークソング歌いながら気がついたこと、
そして、これから学ぶこと、気づくこと、
そういうブログやメールマガジンを綴っていくことで、
さらに、学んだり気づいたりしていけたら、と思います。
長々と自己紹介を読んでいただき、ありがとうございました。
はじめまして〜
何から話していいのか‥
透析をしなければいけない身体になってしまい
どうしても決断できず誰にも話せず
体調がだんだん悪化してきてます。
精神的なものがついていきません>_<
>今井さん、はじめまして。
ようこそ、遊びに寄って下さいました、ありがとうございます。
精神的なものがついてこない、って解ります。
そういう経験を私も通ってきました。
心の中でもうひとりの自分があがくんですね、悪あがきなんですけどね、
理解できないんですよね、受け入れられないんですよね。
でも、透析から始まる人生もありますよ。
今の私のように。
お医者さんの判断なら、かつ体調が悪化しているなら、
迷っている場合じゃなさそうですね。
仲間になりますか、あがきながらでも。
こんにちわ~
まさかコメント返してもらえるとは思ってなくて涙が止まりません
今日病院へ行く予定でしたが引きこもってます、、
自己紹介も何も書かずなにものかわからない自分に優しいコメントありがとうございます。
55歳 広島移住です。
誰にも相談できず何をどこから解決していけばいいのか、、、、
もしコメント返してもらえるなら上のアドレスにお願いしたいのですが
パソコンはいつも見れるわけではないので よろしくお願いします。
はじめまして失礼します。
糖尿病の悪化から網膜症をきかっかけにずっと出来る限り
治療をしてました数値は安定をキープしていたのですが…
1回の風邪を引いてしまいそれそれ以降恐ろしいほどの数値が
一気に悪くなってしまいそれでも減塩や蛋白の管理をしてい
たのですが近く人工透析をしましょうと宣告されました。
これからの透析生活を考えるとやっぱり不安があります。
それで…
どのように生活をしたら良いのか同じ病状の患者さんのブログ
を読んだりしてこやまんさんのブログにいきつきました。
じっくりと読ませていただきこれからの透析生活への心構えと
物凄く自分の不安な気持ちを抑えることもできました…
これからもこやまんさんのブログは読ませて頂き勉強をさせて
頂きたいと思います。
今後仕事とかできるのか毎日不安ですが頑張るだけ頑張ろうと
思います。
こやまんさんの日記の更新を楽しみにさせていただきます…
ももみやさん、はじめまして。
透析を宣告されてしまいましたか、悔しいですね。
摂生も養生も必要だけど、摂生しても養生しても取り返せないのが透析で、死ぬまで付き合っていくしかないので、なかなか覚悟は出来きれませんが、時間が透析を暮らしに馴染ませてくれるまで、あがいてどうなるものでもありませんが、あがいちゃいましょう。
私は、そうとうあがきました^^;
そのうち、慣れちゃったんですけどね。
慣れた日常のブログになっていますが、また遊びに寄って下さい。
はじめまして。
透析を5日後に控え・・・
何とも言えない思いに陥っています。
恐怖なのか?諦めなのか?
自分でも言葉にできず・・
ただただ不安に押しつぶされそうです。
私の場合は・・20歳の時に先天性の腎臓病と宣告されて以来
かれこれ37年が経ちます。
20歳の時には40歳まで生きれば良い方だとまで言われましたが
若い自分には他人事にしか思えていなかったのですね。
あまりの痛みについに覚悟を決めた昨年は「急性虫垂炎」で
半ば手遅れ状態でお見事なほどの開腹手術に恐怖を覚え
シャントもその時に作りました。
あがいてあがいて・・・
粘って来ましたが、主治医から「もう粘るのは辞めませんか}と宣告を受けました。
心のどこかで「まだ透析しなくても大丈夫じゃないのか?」
「何かあったらその時で自分の人生が終わるんじゃないのか??」
本当に不安と恐怖の今です。
透析を受けられている方のブログを拝見させていただいて
コメントさせて頂いています。
初めてなのに長々失礼致しました。
>かんさん、こんにちは。
ようこそ、寄って下さいました。
透析の宣告は、かんさんがおっしゃるとおり、不安だし、恐怖でもあるし、諦めでもありますね。だけど諦めちゃいないし、逃げ出したくもあるけど逃げられないし、あがいてあがいてあがいてあがくしかないんですよね。私はそうでした。
たぶん、どんなアドバイスも心に響かない頃だろうと思います、私はそうでした。
あがいてもあがかなくても過ぎていく時間が、あがくことに慣れさせちゃって、透析のある暮らしにも慣れさせちゃって、何をあがいていたんだろうって思う時がくるまで、存分にあがきましょう。ひょっとしたらあがいているうちに得心のいく結論が導き出されるかもしれません。私は結論が得られませんでしたが^^;
でも、女房や家族に対する、これまでの好き勝手な暮らしへの罪の意識とか、だからこその感謝の気持ちとか、そういうものは芽生えた気がします。
でも今は、あがくしかないですね。我が儘でいいんじゃないかと思います。
また、寄って下さい。お待ちしています。
ありがとうございました。
不安で不安で仕方ないのは変わりありませんが
同じ病で同じ思いをしている方からのコメント心に沁みました。
主治医は「仕事を続けるための透析だからね」と気軽に仰います。
本当に仕事しながら透析が続けられるのか??
考えたらきりがありませんが、最後までとことん考えて
あがいてもがいて泣きながらその日を迎える事にします。
(今、毎日涙が出て困った大人になっています)
又お邪魔させて頂きます。
>かんさん、こんにちは。
おそらく同年配なんだろうと思いますが、私もほんのちょっとしたことで涙が出るようになってしまいました、良いことにも良くないことにも。感情が豊かになったと思いたいですね。
なかなか立ち止まれない人生ですが、否応なしに立ち止まる時だと思います。
また、寄って下さい。
こんばんは
先日磐田のライブハウスに島田からお邪魔させていただきました
miuと申します
こやまんさんのこのブログを拝見させていただき正直驚きました
素敵なギターと歌声に感動いたしまして
まさかお体のことでこんなにご苦労をされておられるとは
まったく想像もいたしませんでした
ご無理をせず楽しい音楽ライフをお過ごしになってくださいね
応援させていただきます
遅まきながら先日はありがとうございました
素晴らしいお友達や音楽仲間に囲まれて羨ましく思っております
またちょくちょくお邪魔させていただきたく思っておりますので
どうぞよろしくお願いいたします。
miuさん、ようこそ。
先日は、遠くから磐田のライブハウスへお見えいただいてありがとうございました。
じつは、初めてのお顔があると、とたんに緊張して、間違いだらけになってしまうのです^^;
お聞き苦しかったろうと恐縮しています。
病気を抱えながらではありますが、
こうして音楽を通して友達の輪が広がっていくこと、こんな歳になって、うれしい限りです。
そしてまたひとり、miuさんという仲間が加わった。
2度めは緊張感もとれて、もう少しマシな演奏ができると思いますので、
ぜひまた遊びに寄ってやってください。
よければ、miuさんも一緒に歌いましょう。
こやまんさん
先日磐田フォーク 風の家に初めてお邪魔をした「らいと♪ハーモニー」ののびです。
初めてブログに書き込みをさせて頂きます。
当日の朝、受付でこやまんさんが色々気使って下さりとても嬉しく接して頂き
お人柄がすぐに感じられました。
こやまんさんが透析、さらに心臓のバイパス手術をされているとの事初めて知りました。
実は私、製薬会社に勤務しておりまして「医療の進歩は日進月歩」と
よく言いますが全くその通りだと毎日職場で肌で感じています。
昔は治らなかった病気も着実に余命が伸びたり、数年前は考えられなかった新薬が開発されたり・・・。
何れ人は病気に罹ります。私たち夫婦もそれまでは頑張って好きな歌を歌えたらと思います。
今後ともよろしくお願致しますm(_ _)m
>らいと♪ハーモニー のびさん、ようこそ^^
磐田のフォークライブにご出演くださり、ほんとうにありがとうございました。
ご夫婦の美しいハーモニーに聞き惚れました。
ライブは、あんな風に気楽にやっております。
ぜひまたちょくちょく遊びに寄ってやってください。
人生、どこに何が待ち構えているのか、ほんとうに解りませんね。
今日を精一杯生きなきゃ、とか思いながら、のど元過ぎるとまた流されていたりして・・・。
新しい出会いに刺激をもらいながら、楽しく暮らしたいと思います。
奥様にもよろしくお伝えください。
北海道、行きたいなぁ^^
こんばんは。
業務で産業カウンセラーの資格をとるために、来年から養成講座に通うことになりそうです。
聞いた話だと、実習がかなりえぐい(シャレにならない本気悩みを聞かされる)場合があるとのことで、
今からちょっとこわいです(^^;
でも、傾聴(アクティブ・リスニング)には興味があるので、がんばろうと思います!
tokujokarubiさん、こんにちは。
産業カウンセラーですか、いいですね。
この資格を取るときの勉強は大変興味深いものでした。
もう忘れてしまっていましたが、積極的傾聴、思い出しました。
それは日常的人間関係にも子育てにも夫婦関係にも、さまざまな場面で役に立ちますね。
ぜひ身につけてください。
「いのちの電話」相談の勉強をさせてもらった時、
電話の向こうに命がかかっていると思い知り、尻込みをしたことがありました。
人の話を聞かせてもらうこと、なんか覚悟が要りますよね。
でも、せっかくの機会、大切にしてください。
はじめまして、こんにちは。
焼津市在住、昭和32年1月生まれの59歳のおくがわと申します。
数年前からクレアチニンが上がってきて、今月いよいよ透析を言い渡されました、
来月の診察までに腹膜透析か、血液透析か考えてきてください、と言われてます。
以前からこのブログを見させてもらっていました、自分の状態が進むにつれ、
じっくり読むようになりました、いままで何気なく読んでいた言葉が、
とても大きな勇気をもらう事があります、
感謝の思いで書き込みさせていただいています。
僕の場合は時間があったので、それなりの覚悟はしてきたつもりですが、なかなか
現実となると、厳しいものがあります。
世代的にフォークソング世代でもあるので、できたらライブにもお邪魔したいと
思います。
これからも見させていただきますので、よろしくお願いします。
>おくがわさん、はじめまして
同級生ですね。
私は昭和31年4月生まれです。60歳定年までカウントダウン中です^^
私のブログを読んでくださってありがとうございます。
透析になりたくなくて必死の思いで減塩やダイエットに挑んでいた時、それが正しいのかどうなのか、情報が無く、クレアチニンの値とにらめっこで孤独な闘いをしていたように思います。妻と同級生の主治医だけが頼りでした。
透析の宣告は、言葉にできないショックですよね。
誰にも何にも言って欲しくないような、だけど解って欲しいような、だけど心のうちを説明することができなくて・・・・・。
59年の人生を振り返るときであることだけは事実だと思います。天から与えられた好機だと思って、ショックと一緒に抱きしめてください。
腹膜透析の経験がなくて、血液透析とどっちって感想を言えませんが、時間的に生活が許すなら腹膜もやってみれば良かったなぁ、と後から思いました。
時間が許さないと思ったのは、サラリーマンである自分が優先されたからで、自分の体や人生を優先する覚悟が出来ていなかったからだと、これも後になって思います。
透析になってしまってからも、解らないコトだらけで、そんなことばかり書いていてつまらないブログになっているかもしれませんね。懲りずに遊びに寄ってください。
また、フォークソング、ぜひおいでください。静岡市からも何人かおいでになりますよ。
待ってますよぉ~。
こやまんさん、御返事ありがとうございます。
同級生だったんですね、一層身近に感じてしまいます。
僕の場合は、一昨年の秋に会社の健康診断でピロリ菌の除去を進められて、
主治医の先生と相談の結果、薬を半分で除菌を行いました、
除菌は成功したのですが、クレアチニンがそこから急に上がってしまいまして、
減塩、たんぱく質制限と続けたのですが、現在では5.6まで来ました。
今は、建築関係の仕事をしていますが、会社に事情を話し、あまり無理しないで
仕事をしています、好きな模型グライダーと、へたくそなギターも少しお休み中です。
自分らしく生きるための治療だ、と思うようにしていますが、なかなかそんなに簡単
ではないですね。
今度、ぜひ歌を聴きに行きたいと思います。
ピロリ菌の除去に使う、何とかという薬が、腎臓に大きな負担をかけるのだそうですね。
って、そんなこと今さら言われても、って感じですよね。
クレアチニン5.6を、私は評価できませんが、私はもっと低かったように思います。他の要因で透析になってしまいました。もっとちゃんと勉強すれば良かった、と悔いを残しています。
「自分らしく生きる」まさにそういうことだろうと思います。そのために立ち止まらされたんだと、立ち止まる機会をもらったんだと。何度も何度も自分に言い聞かせています。
ライブには、ぜひ遊びに来てください。
もっとも近いところで、平成28年2月7日(日)13:00開始の「アピタ磐田店」1階イベントスペースでの「みなみ~ず」という高校同級生ユニットで歌います。
ライブのお誘い、ありがとうございます。
ぜひ伺いたいと思います。
>おくがわさん
ライブだなんて言えるほどのものじゃないですが、ぜひ遊びに来て、声かけてください。
お待ちしています^^
はじめまして、シュウと申します。
私は今37歳ですが、13歳の頃慢性腎炎を患い、人生の2/3を腎臓病と共に過ごしたことになります。
自分の闘病体験などが腎臓病で苦しんでいる他の患者さんの為になればと思い、透析技士になりました。
常に前を向いて、病気なんかに負けるかと奮起して、「自分の他にも沢山苦しんでいる人がいるじゃないか」と視野を広くして。
そう生きてきました。
でも、検査結果が身体障害者4級に該当するようになってきて。
貧血も進んで、クラクラしたり。
何だか最近弱気なんです。
それを3年前から一緒の妻に話すと、「生活全てが不安だ。お金とかどうするの。永久就職できたと思ってたのに」と言い放たれました。
弱音を吐ける相手もいないんです。
そんな中、こやまんさんのブログを拝読して涙が出ました。
医療従事者と言う事もあり、主治医の前では優等生ぶっていた私ですが、
本当は身体が言う事を聞いてくれなくてやり切れない気持ちや、
自分の病気のせいで妻とうまくいかない苛立ち、今後の不安など、
抱えている「負」の感情はたくさんあるんです。
こやまんさんのブログにも、飾らない「負」の感情を感じ取り、
勝手に仲間を見つけた気持ちになっております。
またちょくちょくお邪魔させていただきます。
乱文失礼いたしました。
>シュウさん、はじめまして。
コメントをいただき、ありがとうございます。
私も自分の経験が何か役に立てるんじゃないかなんて思ってこのブログを書き始めましたが、シュウさんのおっしゃるとおりで、自分の愚痴やいい訳や泣き言を綴るだけになってしまっています。それを”飾らない「負」の感情”とカッコ良く表現してもらえて、くすぐったいです^^;
弱音を吐ける相手がいないとしんどいですね。このブログのコメント欄を使ってください。少しは気持ちの置き所になるかもしれません。シュウさんのその負の感情や生きる姿勢がきっと誰かの役に立つのだろうと思います。いや、役に立たなくたっていいじゃないですか。自分のためになれば、それで充分ですよね。救いになりますよね。
どうぞ、また遊びに寄ってください。
こんにちは、はじめまして
私も透析が避けられないと言われる50才の者です。
なんともならないのなら、どうやったら受け入れられるか
いろんな方のブログを拝見し、たどり着きました。
心の整理・・・
どうしたら良いものか、今なお悩んでおります。
家庭、仕事、将来・・・
よろしければ、コメント頂けたらと思います。
>ブラックさん、はじめまして。
コメントをいただき、ありがとうございます。
50歳で透析ですか、私の時と同じですね。
腎臓がダメになってきてるって言われて、透析になりたくなくて必死に減塩・ダイエットしている時は、それでもまだ可能性を信じて前を向いていたように思います。
だけど、いざ透析を宣告された時には、世界が止まってしまったような絶望的な気持ちでした。
いや、絶望的だっていうのも、後になって振り返って言えることで、その時には、頭は真っ白だったように思います。
それでも何とか前を向かなきゃって、ブラックさんが言うように、家庭、仕事、将来のコトをちゃんと考えようって思いました。ちゃんと考えて、心の整理をして、覚悟を決めて透析に臨もうって。
だけど、何をどう考えたらいいのか解らないんですね。その上、気持ちは嘆いているばかりで、考えることから逃げに逃げて、けっきょく何も考えられず、整理もできず、覚悟も決まらず、流れるままに透析に突入していってしまいました。
そして、流れるままに、透析の暮らしがいつか当たり前になってしまいました。
これも後から思うことですが、
なんら心の整理はできずに透析に突入しましたが、人生、立ち止まったことは事実でした。立ち止まった時、それまで突っ走ってた人生を見つめ直したことも事実でした。
その中で、次第次第にこれからの人生のあり方に、新しい思いが浮かんでくるようになりました。それから8年も経って、今60歳を迎えようとして、透析前とはまったく違う人生観を自分に許そうと言い聞かせているところです。
透析を受け入れなくちゃならないとき、私は誰の何のアドバイスも耳に入りませんでしたし、ブラックさんが抱えている生活の背景は解りませんので、軽はずみなことは言えませんが、まずは人生一旦立ち止まれってことなんだな、って思いませんか?
ブラックさんのコメントで、私が人生立ち止まらせてもらいました。ありがとうございます。
自分勝手なことを書いているブログですが、また遊びに寄ってください。
こやまんさん、ありがとうございます。
確かにそうなのかも知れませんね
立ち止まって、いろんな事を前向きに考えられたらと思います。
今は、仕事も続けていけるか不安もあったり、また、職場の置かれている立場も変わりつつあり、ついて行けなく情けなく思ったり、食べ物も気をつけてなければならなかったりして、どうなってしまうのかと思う毎日ですが、いつの日か後であの時と思える日が来ると信じて乗り越えていきたいです。
お忙しくされている中、貴重なお言葉いただきありがとうございました。
また、いろいろ教えて下さい。
ブラックさん、こんにちは。
仕事のこと、食事のこと、確かに不安ですよね。そのほかに予期しない何かが自分を襲ってくるのか、疑心暗鬼になっちゃいますよね。
せっかくコメントいただいたのに、何のお役にもたてずにごめんなさいね。
気休めにもならないかもしれませんが、またお立ち寄りください。
こやまんさん、今日は楽しいライブをありがとうございました。
お元気に歌ってる姿を見て、こちらも元気をもらいました、
ギターの練習を始めようかな。
また機会があったら見に行きたいと思います。
おくがわさん、こんにちは。
ライブにお出かけくださり、ほんとうにありがとうございました。
初めての会場で、初めてのお客さんばかりで、ちょっと緊張気味でした^^;
また、せっかくお出かけいただいたのに、充分にお話しができずに、失礼しました。
ギターの練習、ぜひ始めてください。
静岡でもフォークジャンボリーが開催されていますし、お披露目の機会は、いま、あちこちにありますよ。もちろん、私たちの主催するライブでも毎月飛び入りの時間を設けていますので、お出かけください。
またお会いできる機会を楽しみにしています。
こやまんさん、こんにちは。
4月9日のライブに参加したいと思います、
よろしくお願いします。
おくがわさん、こんにちは。
承知しました!4/9お待ちしています!
飛び入りコーナーは、16:00~予定していますので、それまでに会場に来てください。
飛び入り参加人数にもよりますが、おそらくおひとり2曲程度でお願いすることになると思います。
当日は、会場のオーナー主催のお茶畑祭りも同時並行開催となりますので、朝から賑わっています。私どもも朝から準備を開始しています。
それでは、楽しみにお待ちしています!
こやまんさん
ありがとうございます。
お昼ころ着くように行くつもりです、
よろしくお願いします。
はじめまして!
石川県在住の57歳の主婦です!この4月に透析開始になりました!10年近く 通院し いずれは透析と覚悟は していましたが、急に悪化し 今は首から透析し、左手シャントが失敗し、右手シャントが完成するのを 待っている状態です!誰にも わかってもらえないという孤独な気持ちが こちらのブログの みなさんの お話しを拝見していると 1人じゃないって 思えてきて 元気を 頂きました!
自分の事だけでなく、今は実父が同じ病棟に入院しており、明日がわからない状態です!
また、娘が何年も前から パニック障害で 私から離れる事ができず、病院の私のベッドの横で寝泊まりしています!人生 最悪の時かもせれません!これから先 どうなるのか 不安でいっぱいですが、こやまんさんが 言われるように がむしゃらに走って来た人生を、一度立ち止まり これからの自分を考えていきたいと思います!私もバンドやってました!音楽活動羨ましいです!長くなりました!これからも 拝見させて頂きます!
マッキーさん、はじめまして。
ようこそ、よく遊びに寄っていただきました、ありがとうございます。
そうなんでしょうね、10年通院しても覚悟は決まらないんですよね。わかるような気がします。透析にならないために通院してたんですもんね。
それにしても、ご自分のことに加え、お父さんのこと、娘さんのこと、よくぞ重なって降りかかったものですね。神様はマッキーさんに何をお求めなのでしょうね。
実生活の中で弱音は吐けないかもしれませんが、ここはいくら弱音を吐いてもらってもいっこうにかまいません。
そうですかとお聞きすることしかできないかもしれませんが、それでもどうぞ気晴らししてください。
いつかなるべく近いうちに、音楽活動の場でお会いできたら、素適ですね。
それまでは、このブログをうまくお使いください。
またのコメントをお待ちしています。
こやまんさん 始めまして 時々拝見させていただいておりました
私が少し年上になりますが こやまんさんの病歴さまざまな活動いろんなことを考えさせられたり はげまされたりしております
私も8年前にバイパスを行いまして 幸い何の不都合もなく今まで生きてきました
施術を受けた病院は心臓では有名な病院で 20年ほど治療で通院してきましたので その流れで 信頼もしておりましたので手術を受けておりました
結果に不満はありませんでしたが 病院で様々な対応に疑問をもちました 救急部屋でのこと 手術室でのこと ふっと気が付いたのですが日本の医療は倫理を中心にした医療学問で
成立している 臨床医は医局体制の日本では育たないか はみ出しているのではないかと思うようになりました そこで 病院の理念など考えるようになり 自分に合った考えの病院で診察してもらうようになり 精神的に十分安定し委ねる受診自分の治療方針について意見の言える納得できる治療を 現在のところ継続しているようです
医療機関に気を許すことなく患者同士の情報交換は非常に重要だと思っています
こやまんさんのブログ更新を楽しみにしています
expertさん、はじめまして。
病院に対する疑問や不満、ありますね。
でも、それが患者としての自分のわがままなのかもしれないと思えたりもします。
そう思うと、あーしてほしいこーしてほしいと言うのもはばかられ、
まぁいいや、我慢しましょう、となってしまいます。
特に透析の場合、一日おきに通うわけで、
私の住む市内には、透析が可能な医療機関は5か所ありますが、
医療機関を替える勇気はありません。
我慢ならない過失がない限り、自分の中で適当な折り合いをつけながら、
このままいくんだろうなぁって思います。
でも、患者同士の情報交換は重要ですね。
たいして参考にもならないかもしれませんが、ぼちぼちと更新を続けますので、
また、遊びに寄ってやってください。
はじめまして。
千葉県在住の41歳男性です。
糖尿病性の慢性腎不全で、クレアチニン12を越えてしまい
4月末にシャント作成手術を受け、明日17日から透析導入のため入院です。
シャント作成・透析導入や障害認定のコーナーを中心に拝見しました。
特に、下記の記事は他にない情報で大変助かりました。
障害者になった日と障害認定日 | こやまんの「透析なんて苦にしない」 http://shizuoka.com/toseki/20140225527.html
障害者手帳は腎不全段階で申請を済ませて現在審査中ですが、
マル長については保険窓口に問い合わせて、入院前に申請書類を準備し
導入開始後すぐに申請を済ませようと思っています。
※窓口の方曰く、マル長の認定日は申請月の1日に遡って設定されるとのことです。
治療や仕事に不安もありますが、まずはしっかりと
透析童貞を卒業してまいります。
今後ともよろしくお願いいたします。
夏目さん、はじめまして。
透析導入の入院前日にコメントいただいたのですね、ありがとうございます。
41歳ですか、まだお若いですよね。私より10歳早く透析になってしまうのですね、治療のこと、仕事のこと、暮らしのこと、不安も多かろうとお察しいたします。
「マル長」って知らなくて、ネット検索しちゃいました^^;
準備はちゃんと進んでいるようですね、しっかりしていらっしゃると感心させられます。
そうですね、まずは透析導入入院を乗り切ってください。私の情けない透析導入入院日記が何かの参考になれば幸いです。
また遊びに寄ってください。
こやまんさん、こんにちは。
数日ほど前にコメントを残した者です。
あの時は有難うございました。お陰様で少しだけ、乗り越える為の勇気を貰えました。
前回のコメントにて年齢を書き忘れていました、今年33になる女です。
あの日から何度かの透析を受けつつ、退院後に通う透析施設へ見学に行きましたが、場所によって看護師さんや主治医の対応と言いますか、態度が全然違うんだなぁと思い知らされ、驚きました。
最初の施設(Aとします)は、正直にいうと「怖いところ」でした。質問に対する返答やその対応に、どことなく患者が口答えするな、的なものを感じたというか…。
A施設ではどうしても、週三回の透析を受けるのが苦痛だと感じたので、自宅から少し距離はあるけれどB施設も見学に行かせてもらいました(どちらの施設も入院していた病院と同じ系列です)
案内の内容はA施設と似たようなものだったのですが、B施設の方は、質問に対する返答も、対応にも、患者の事に親身になって下さっているのがよく分かりました。
何より、看護師さんが笑顔で患者さんがリラックスしていたのが決め手で。
今は導入入院も終わり、今後はB施設で透析を受ける事になりました。
穿刺は怖いし痛いですが、看護師さん達が怖がりの私の為に、色々と対策や対応をして下さるので、何とか頑張っていけそうです。
また、時々ブログを読み返しに遊びに来ます。
こやまんさんも、どうかご自愛くださいませ。
狗尾草さん、こんにちは。
透析病院が決まったようで良かったですね。
生涯のおつきあいになるだろう病院ですもんね、慎重になりますよね、よく解ります。
看護婦さんにも恵まれたようで何よりでしたね。
それにしても、33歳とはまたお若い。
私の娘(長女)が今年33歳ですから一緒ですね。
30歳超えて、人生いよいよこれからが本当の勝負の舞台となりますね。
透析当初は私も絶望感にさいなまれましたが、透析はハンディではないと今は思えます。
早く透析のある暮らしに慣れてそれが当たり前になることを祈ります。
弱気なったりくじけそうになったら、愚痴でもこぼしに寄ってください。
もちろん、うれしいお話を聞かせてもらえるのも大歓迎ですよ。
ご無沙汰しています。
早いもので、もうすぐ透析生活が半年に手がかかっているakihillo です。
こやまんさんのブログには肩に力の入らない、飄々として、それでいて充実した透析生活を送られている日常が綴られていて、とても面白いです。
私を含め色々な方たちが透析生活の入門講座としてこやまんさんのブログに出会う理由が分かった気がします。
ブログを何度も読み返して、そうそう!あん時はこんなんやったなぁ〜!と思い返しているakihilli です。
更新楽しみにしてます。
akihilloさん、こんにちは。
半年になりますか、順調であることを祈ります。
私の経験が何かしらお役にたてているようであれば、こんなにうれしいことはありません。
恥を忍んで書いている甲斐があります。
更新もままなりませんが、また、遊びに寄ってください。
こやまさん初めまして、愛知在住の42歳の者です。
去年の夏に多発性嚢胞腎の確定診断を受けました。家系的には生粋の癌家系なのですが何故か腎臓の難病になってしまい今後の事をどうしたものかと考え込んでいる毎日です。
将来的に透析導入になるのですが、私よりも父がショックを受けてしまっていて…
父は消化器系の早期がんで手術により元気なのですが、私が中学時代に伯父が癌で他界した時祖母の悲しむ姿を見ているため、申し訳ない気持ちもあり。
20代の頃は病棟事務員でした。当時の透析に比べると医療技術も進歩してきている事や、私が看護学校に在籍していた事のおかげか父よりは多少ショックが軽いのかもしれません。母も精神疾患を患って居るため敢えて結婚という道を避けてきました。
生活保護や障碍者手帳など生活基盤をどのように持っていくべきなのか、それとも透析導入をしないまま生涯を終えるべきなのか…何を目指せばいいのやら。
独身なので親の心境としてはどんなものなのでしょうか。アドバイスがあれば教えてください。
a,kさん、はじめまして。
勉強不足で、私は多発性嚢胞腎という病気がどういうものか知らず、
その辺に関しては何らアドバイスもできず、ごめんなさい。
透析ということであれば、
障害者手帳の手続きをして医療補助を受けながらの治療ということに
なるのでしょう。ほとんどの人がそうしているのだと思います。
個人差もあるでしょうけど、多くの人は透析受けながら働いています。
私も52歳から60歳まで夜間透析受けながら働きました。
親の心情ということであれば、
私なら、できれば替わってやりたいし、生活を支えあえる伴侶も居て
欲しいところです。
生活保障とか専門的なことは私では不足するばかりですので、
医療ソーシャルワーカーみたいな役割の方にご相談くださいね。
せっかくコメントいただいたのに、
大したアドバイスにもなりませんが、懲りずにまた遊びに寄ってやってください。
こやまんさん、コメントを頂けてとても嬉しいです。
実は私は生まれてすぐ死産宣告を受けていました。迅速な処置のおかげで何の障害もなく助かりました。当時の話について4歳の頃に母から真実を聞きました。
震えるような声で「ごめんなさい」と言われたことを今でも覚えています。
成人してから(病院に勤めるようになってから)父に話をしてもらいました。新生児黄疸が重症化して赤血球が破壊され酸素が運べない状態になってしまったと。交差輸血で伯母の血液をもらいなんとか赤血球が破壊されず酸素が正常に運ばれるようになり「脳性麻痺」、「多臓器不全」も免れ普通の子と変わらず生還したんです。(看護学生時代に個人的に調べてみました)
30代前半に腎内のDrから腎臓に異変がある事を告げられました。その時は良性か悪性かどちらか判断がつかないけれど悪い方へ偏った場合大変な事になるからと言われていた事が難病だったんだな~
って。
大学病院のDrには「診察がとてもやりやすくて助かるよ」と言われてます。
私も「看護学生の実習をしてるみたいです」と答えてます。
父は付き添う余裕もないみたいですが…
今度の診察の時に生活保護や助成金など詳しい話を聞きたいと伝えてみることにします。
父は正社員で再就職しろと言ってたんですけど、尿管結石で激痛続きな身体で正社員は無理だろうと思うんですけどね?ハローワークで再就職して間もなくのことなのでその件についても相談しないといけませんね。
少しずつ自分の中での整理が出来たように思います。
話を聞いていただきありがとうございました。
こやまんさん、こんにちは。コメントを頂き嬉しく思います。
父も私も少し落ち着き、父は兄から「自分の子供に負債が起こるようなら容赦はしない。親子の縁を切るからそのつもりで」と宣言されていたので、老体に鞭打って古い家を解体するための準備をしてます。私は再就職した矢先に難病を宣告されたことと、尿管結石の激痛により離職状態です。
慌てて探しても結局長続きしないものだと思い、今は父の手伝いをしてます。
生活保護もろもろについては今度の診察日に腎内のDrにソーシャルワーカーとの相談の旨を伝てみようかなと思います。父は正社員での再就職を望んでいるのですが、家庭を持ってるわけでもないしハローワークと相談して今後の事を考えようかと思ってます。
少しずつではありますが、父と共に歩けるようになったのではないかと思います。
兄の絶縁宣言は何を意味するものか?「父、母の面倒については責任があるが、私のことは自己責任で。自分の子に世話させる気はない」とか言ってましたが、そんなこと頼んでもないし、望んでもないしと伝えてはあるんですが。
何考えてるんでしょう?家庭を持つと変わっちゃうんですかね。
a,kさん、こんにちは。
いろいろ複雑なんですね。
私が軽々しくコメントなんかしちゃいけませんね。
人生の様々なステージや出来事で、
大切に感じるものが変わっていくことは事実ですが、
私のここまでの人生において、
大きく変わらない大切なものは「家族」だと感じています。
もちろん家族と言っても、
親だったり兄弟だったり伴侶だったり子供だったり、
これも大切さの優劣が時と場合とで入れ替わったりするのですがね^^;
それでも、最後の頼みの綱、命綱は、伴侶だと私は思っています。
何の参考にもならないコメントでごめんなさいね。
何か書いたり読んだりしているうちに、
a,kさんの考えが整理できることを祈ります。
こやまんさんこんにちは。
わたくしアッキーと申します。初めてコメントさせていただきます。
腎不全が悪化し、緊急入院、透析導入で27日経ちました。51歳のまだ透析初心者です。毎日先のことの不安と、元気だった頃を思い出して泣いてばかり、嫁に負担ばかりかけています。そんな時にこやまんさんのブログに繋がり拝見させていただきました。
このブログとの出会いに感謝いたします。つらいのは自分一人ではないと感じました。まだ不安定で泣く日は続くでしょうが前に歩いてこうと思います。またコメントさせてください。
アッキーさん、はじめまして。
ようこそ、私のブログに寄っていただき、ありがとうございます。
緊急入院の27日目ですか。激流の渦の真っ只中ですね。とてもものごとを冷静に考えられる状況じゃないですね。そんな中でよくぞコメント書いていただきました。ものすごくうれしいです。
透析の初期には、自分が透析になってしまった暮らしを受け入れられずに、どんなアドバイスも聞く耳持たず、それどころか反発したりしていました。あんたに何が解るんだ!なんて。自分だけが悲劇の主人公でしたからね。おそらくアッキーさんも今はそうなのではないでしょうか。
いつか懐かしく思い返せられる時が来るまでは、見苦しいくらいにもがきあがくしかないと思います、私はそうでした。それでも私の通った道が何かアッキーさんの心に引っ掛かるなら幸いです。
愚痴でも弱音でも何でも構いません、吐き出せば少しは顔をあげられるかもしれません。ここにコメントください。お待ちしています。
こやまんさん、こんにちは。
お返事ありがとうございます。透析初心者の私は取り越し苦労が極度に過ぎてしまい、自分自身が疲れてしまいました。嫁や母親はなったらなった時、その時考えろ、なるようなる、と私に諭しますが、そんな気になれず悶々としています。
少しでも前向きに考えたい、勇気が欲しい、と考えていた時にこやまんさんに出逢ったんです。
こやまんさんと繋がれた、お友達になれたことが心の救いです。こやまんさんご自身もお忙しい身であるのに、ご丁寧にお返事を頂き本当にありがとうございます。
またコメントさせてください。
アッキーさん、こんにちは。
やはりそうですか、私の時と一緒ですね。どんなアドバイスも耳に入りませんよね…… 悲劇の主人公は自分だけですからね。今は、自分にしか解らないどん底の絶望感をなめるしかないんですよね。人生でこんなにも沈みこむことはそうはありませんが、それも自分の人生ですからじっくり味わってやりましょう。急ぐことはないでしょう、ここまで落ちちゃったんですから、じっくりじっくりでいいじゃないですか。そういう機会をもらったんじゃないんですかね。
私も52歳の時でしたが、透析を機に価値観を変えました。絶望感でもがいてもがいて悪あがきしましたけどね
アッキーさん、出口が見えるまで、どうぞ愚痴ってください。また遊びに寄ってください。
初めまして。東京都町田市在住アッキーの妻マミーと申します。主人からこやまんさんのことを伺いブログを拝見しております。
主人はこやまんさんからのメッセージでとても救われています。自分と同じ経験をされていたこやまんさんの言葉は、何よりも誰よりも主人の心に届いています。
腎臓疾患の知識がほとんどないままに、妻として主人の食生活も支えていますが、何とか美味しいものを食べて欲しい一心で台所に立っています。こやまんさんの奥様が栄養面をはじめ、あがいていらっしゃった頃のこやまんさんの心をどのように支えていらっしゃったのだろうと……お聞きしたいことが山のようにあります。いまは、ただただ主人の発する言葉に耳を傾け、寄り添っています。
私も時々こちらへお邪魔させていただきます。ありがとうございます。
アッキーマミーさん、はじめまして。
ご本人からとかあるいはその奥様からとか、どちらかからコメントをいただくことは多いのですが、こうしてご夫婦それぞれからコメントをいただくのは初めてです。なんだかもうそれだけでアッキーご夫妻のお互いを思う心が伝わってきますね。
旦那さまの心をどう支えたらよいのか、お悩みの様ですが、その悩みが旦那さまに伝わるだけでもう充分じゃないのでしょうか。
例えば、このブログの記事でも書いていますが、
透析になる前、減塩生活を強いられ、私のために食事の支度をしてくれる妻は塩分のコントロールでノイローゼになりそうになっていました。それを見かねて塩分をまったく使わないで調理してくれればよいとお願いしました。後から適当に味付けて食べるからと。それから塩分の多いもの(漬物・干物・汁物・練り物、etc)は口にしないからと。私のためにと神経すり減らしてくれている妻に楽になってもらいたいと思ったのです。夫婦ってそういうものじゃないでしょうか。
これもブログの記事に書いていますが、
私は妻は命綱だと思っています、今は。腎臓をダメにして、次第にそう思うようになり、心臓も傷めて、確信するに至りました。男の生命力は他愛のないもので、生きる力は女にかないません。もう旦那さまは気づいていらっしゃるかもしれませんが、私は痛い目にあってやっと気づいた次第です。
今も、右足の動脈硬化の手術で昨日退院したところですが、命綱はますます強く……^^
話が逸れてすみません。
私のブログに寄っていただいたのも何かのご縁でしょう。どうぞ愚痴でもなんでも吐き出して少しでも楽になれますように。
またコメントください、お待ちしています。
こやまんさんこんばんは。
夫婦共々こやまんさんに力をもらい、そしてあなたのファンのアッキーです。足の手術お疲れさまでした。お早い回復を心よりお祈りしています。
先日は嫁のコメントに心のこもったお返事を頂き本当にありがとうございました。夫婦ふたりで感動いたしました。ご自身の手術で大変なときだったのに、わざわざ返事をくださるこやまんさんのお人柄に感激を抑えきれませんでした。ありがとうございます!
私は公立高校の体育教員をしています。先週14日から現場に復帰しました。透析をしながら、入院して体力の落ちた体で仕事をするのは正直しんどいです。少し考えが甘かったと思います。職場の方々のサポートをありがたく受けながら透析と仕事の習慣を少しづつ慣らしていきたいです。
私も一年は透析生活の現実、合併症の怖れに心の闇を抱えながらあがくと思います。私の命の綱も嫁です。嫁と子どもたち、実家の両親(実家は香川県です)兄弟、親戚一同に感謝しながら今、生きていることに感謝してもがきながらも過ごしていければと思います。なにか趣味が見つかるといいなぁ。
私達夫婦の今の夢はこやまんさんとお会いすることです。お会いして楽しくお話したいね、と二人で話しました。磐田市のフォークライブにもぜひ行ってみたいです。夫婦の夢を実現させるために、私も元気を取り戻します、無理せず少しづつ。
またコメントいたします。ありがとうございました。
アッキーさん、こんにちは。
なんだか過大な評価をいただき、くすぐったいです。
アッキーさんは高校の先生でしたか、私の息子も高校の先生をしています、まだまだ若輩ですが…。
透析は私の人生の大きな大きなターニングポイントでしたので、それを忘れないように記録しておこうとブログに書きましたし、そこに反応してくださる方には自分事としてとらえて反応しようと思っています。どんなこともどうしても時間が流れ歳を重ねるごとに薄れていってしまうじゃないですか。こうしてコメントを返させていただくことで時々の思いを確かめたりさせてもらえるので、コメントをいただけることは大変ありがたいのです。
妻が命綱だと思うと同時に、自分にとって一番大切なものは何か、考えさせられますよね。透析は、走りがちな人生をちょっと立ち止まらせられ、あらためて人生に思いを寄せるいい機会を否応なしにくれますね。あんなことそんなこと抱きしめる機会にしてください。
おっしゃるように、お会いしてお話する機会が持てるといいですね。娘が鎌倉に居を構えていますが、今は娘にも孫にも会いに行けず、ライブもルールを守って行われてはいますが、基礎疾患の高齢者としては出かけていくのもままならず……。あれもこれもコロナ騒動が治まるのを待つしかないのかなぁ…、と。
また遊びに寄ってください、お待ちしています。
こやまんさんこんにちは。
こやまんさんの足の手術の投稿が痛々しくて、思わず息を飲みました。その後調子はいかがでしょうか。
わたしアッキー、透析生活初期をあがいております。過去を振り返りながら懸命にあがいております。クリニックの院長からは、先を心配するばかりではなく、今はゆったり構えてまわりに少し甘えて生活を送るようにすればと言われました。言われていることは理解できるのですが、わかっているのですが・・・う〜ん。
透析なさっている多くの同士の方々も導入初期には同じ思いを少なからず経験してきたんでしょうね。自分の体調がはやく透析に慣れるように祈るばかりです。
こやまんさんの足も快調に向かいますようお祈り申し上げております。わたしも一日一日を懸命に生きていきます。
アッキーさん、こんにちは。
足の手術の件、大げさですみません。なにせ、恐がりで痛がりなもんですから注射を打つとこさえ見ていられず…透析13年にもかかわらず、穿刺の時は顔を背けて歯を食いしばっているありさまです。
アッキーさんは、あがいていますか。
人によりさまざまなので透析の暮らしにちっとも凹まずあがかない人も居るようですね。人としての性の違いというか生きる姿勢の違いというか…。
院長先生のお言葉もありがたいですね、おっしゃる通りですね。でも聞き入れらないんですよね、解ります。ありがたいアドバイスはそれが腑に落ちる日が来るまで神棚に奉っておきますか。
あがいてしまう苦しみは、あがいてしまう性を持った人にしか解らないですもんね。いや、しょせん、人には解らないものかもしれません。苦しいでしょうけど落ちるとこまで落ちちゃわないと浮かんでこれないのかもしれないですね。
待ってます。
ここで笑ってコメントしあえる日まで、どうぞ愚痴ってください。
こやまんさん、はじめまして。
かなり前からブログはちょいちょい拝見していたのですが今になって初コメントさせて頂きました。
私は生まれつきの片腎で、5年くらい前から数値が悪くなり出し、昨年春にはそろそろ透析を考えて、と言われて今はこやまんさんと同様、あがいてあがいて頑張っているところです。おそらく今年透析導入かなという52歳です。
こやまんさんと透析導入期の気持ちも年齢も同じなので、私のこの後の人生のお手本のような気持ちでブログを拝見しています。
これからも色々とメンタル面の支えにさせて頂きたく、ブログを読ませて頂きたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
キャプテンさん、初めまして。コメントをいただき、ありがとうございます。
そうですか、52歳で透析導入かもしれいない、ですか…。もがきあがき苦しいところですね。土壇場まであがきにあがきましょう。一生モノのあがきですからね。
僕は、振り返ると、あがき方が下手だったように思い返されます。透析とか体の仕組みとか知識が無さ過ぎました(今もあまりありませんが…)。そのせいで、もう少し透析導入は遅らせられたのに、さっさと導入させられてしまったと悔やまれてなりません。
透析も長くなって、透析の話題の少ないブログになっていますが、お互い何か救いはあるかもしれませんので、どうぞどんなコメントでもお寄せください。これを機にどうぞよろしくお願いします。
こやまんさん
あたたかいコメント、ありがとうございます
「あがき方が下手だった」には少し笑ってしまいました笑
私もこの一年で17kg痩せましたが、まだまだ自分に甘いところあるな、もっと上手くあがけるかなと思うところは多々有ります。
どのタイミングで透析導入するのがベストなのかは正直難しいところだと思います。もちろんあがけるところまではあがこうと思ってますが笑
こちらこそどうぞよろしくお願いします!
キャプテンさん、こんにちは。
一年で17kg減ですか…、それが努力のダイエットならスゴいことですね。大いに自慢のタネで、それだけでブログが書けます^^
透析導入タイミングは確かに判断ポイントが不明瞭ですね。動けなくなって担ぎ込まれるような人もいるようですが、そんな冒険は怖いですし…。
僕は透析のせいにして現役一線から逃げちゃいましたので、楽になった面も大きく、透析から始まる人生もあるなと思っています。が、それは結果を振り返って思うことで、これから透析に向かうキャプテンさんには何のアドバイスにも励ましにもなりませんね。
後悔しないようグズグズあがきもがいて、その時がきてもクヨクヨメソメソして、結局、時間が解決してくれるまでもがきましょう。
グズグズコメントも少しは気が紛れるでしょうから、どうぞぶつけてください。
ほれでは、また。