子供を育てるということ

娘が、ふたりめの出産のため、ひとりめの子供を連れて、帰省している。

そして、ふたりめが産まれ、久しぶりに我が家は賑やかな空気に充ち満ちている。

 

妻は、その諸々を面倒みるために会社を辞めた。

まぁ、勤めのストレスで体調を壊してもいたので、救いの神だったのかもしれない。

体調を壊してみるみる痩せていく妻を見かねて退職してもらった、というべきか。

 

じぃじとばぁばが、

3歳になる孫に手をひかれて近くの公園(お宮だが)へ出かけたり、

産まれたばかりの泣きやまない赤ちゃんをてこづりながらあやしていたり、

娘の子育てぶりに首をかしげたり、いたく感心したり、

我が家が一世代新しい風景の中にある。

 

今までひとり天下だったお兄ちゃんは、

とつぜん現れた強烈なライバル(妹赤ちゃん)にママを奪われまいと、

やたらとだだをこねて言うことを聞かず、そればかりか、へそを曲げて泣きじゃくる。

 

ここぞとばかりに優しく救いの手を差し伸べようとするじぃじを、

とりつくしまも無なく撥ね除けて、いっそうだだをこねて泣き声を大きくする。

 

まぁ、おそらくこれも時間の問題で、だんだんと慣れていくしかないのだろうし、

放っておいてもだんだんと慣れていくのだろうとは思うものの、

目の前の状況は打開せねばならず、あれこれ手をうっては翻弄される。

 

ばぁばをつかまえて、しみじみと

「うちの子たちにこんなに手こずった記憶がないんだけどなぁ・・・・」

「確かに、うちの子たちはこんなに強情じゃなかったけどね」

「そうだよなぁ」

「でも、お父さんは、子供たちと接する機会がなさ過ぎたんだけどね」

「・・・・・そうかなぁ」

 

いや、

そうかもしれないと今は思える。

 

ちょっと前までは、即座に否定してた。

「何言ってるんだ、俺は仕事じゃないか、それが役割じゃないか!」

 

否定じゃなくて、いい訳だな、こりゃ・・・。

 

それが、そうかもしれないと今は思える。

 

人生、山を降り始めたんだと思えるここ数年、

仕事に対する気構えがまったく変わってしまったからだろう。

 

そうだよなぁ、いつも帰りが遅かったもんなぁ。

晩ご飯を一緒に食べたことがないとか、

3人の子供のおむつを一度も替えたことがないとか、

こういう話題の時にはいつも妻に言われるけど、

そうだったんだろうなぁ、おそらく。

 

口にはしないけど、

そう思える。

 

子供たちの機嫌がいい時にだけ思いっきり遊ぶだけの、

そういう都合のいい子育てしかしてこなかったんだろうなぁ。

 

いや、時には、子供たちがビクッと構えるほどに叱り飛ばしもした。

それが父親の役目だと思ったし。

 

でも、それも都合のいい子育てかなぁ。

 

泣き止まない赤ちゃんを抱っこしながら、

「余裕がなかったなぁ」

「そうね」

「これから、うちの子たち、子供を産み育てていくわけで大変だなぁ」

「そうね、替わろうか?」

「そうか」

赤ちゃんが泣き止まないのを気にしていたのだろう。

泣き止まない赤ちゃんをばぁばに替わって抱っこしてもらう。

 

大泣きの赤ちゃんを抱っこするばぁばに余裕の優しさを見る。

 

こうやってうちの子供たちを育ててきてくれたんだろうなぁ。

あらためて、うちの子供たちをいい子に育ててくれたことに感謝する。

 

「良かったなぁ。多少の問題はあったけど、みないい子に育ってくれて」

『育ててくれて』と言えば良かった・・・・。

「そうね、多少はあったけどね」

 

この頃は、イクメンとか言いはやして、

父親が日常的に子供の面倒をみることが当たり前化している。

もう我々の時代の「男は外で仕事」的な行動は、すでに化石化しているのかもしれない。

 

2人の孫に、すっかり時間を奪われて、イクメン化しながら、

これでいいのか、いや、これがいいのだろうと思い直したり言い聞かせたり。

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