古い友達が、東京荒川区の自宅で、「こども食堂」をやっているという。
「こども食堂」って知らなかったので、訪ねてみたり、調べてみたり。
そこには、30人位の子供や大人が、
ゲームをしていたり、おしゃべりをしていたり、
晩ご飯の支度をしていたり、何もしていなかったり…
「6時からご飯だけど、子供たちとも遊んでね」
「わかった、努力する…」
とは言ってみたものの、何をどう遊べばいいのか、自信がないなぁ。
それに、言い方が悪いかもしれないけど、
なんらかの問題を抱えている子たちなんでしょ?
正しい接し方とかタブーとかあるんじゃないの?
最初、子供たちが警戒の目を向けてくるように感じたが、
でもそれは、子供たちよりもこっちが警戒しちゃってるわけで、
子供たちの視線は映し鏡だとハッとした。
とにかくニコニコと笑顔で状況を眺めているうち、
こっちも子供たちも慣れて、一緒に遊び始めることができた。
そうなれば、あとは孫と遊ぶのと一緒だ。
そして、皆で賑やかに晩ご飯を食べて、
時間の許す限り、おしゃべりや遊びに興じた。
子供の貧困層が増大しているという、この豊かな時代に。
「貧困」と一言で言っても様々だ。
ひとりぼっちでご飯を食べている子、
様々な理由で、ご飯が食べられない子、
学校に行けない子、
友達が作れない子、
親に虐待されてる子、
etc…
普通に見える親子の家庭で、
「今日の晩ご飯無いけど、いいよね?」
「うん、平気だよお母さん…」
そんな会話が交わされているかもしれないという。
そんなバカな…
哀し過ぎて胸が締め付けられる。
子供たちだけではない、母親たちも居場所がなく、
親も子も心の拠り所を失くしてしまっているのだという。
「こども食堂・サザンクロス」を自宅で運営し、
毎週1回自宅を開放し、居場所と晩ご飯を用意している友達は言う。
「この生きづらい世の中、コンビニの普及でいつでもおいしいものを
食べることができるけれども、そこには愛のある本当のおいしさは
存在しません。フルで働く母親たちが増え、食事の用意もままならず、
家族で食卓を囲むことも少なくなっています。
そこに見えてきたのは、
母には子育てに悩みがあること、子は愛に飢えていること、
家族として日々生活することに何かしら困難があることでした。」
だからって、
自宅を開放し、食事を用意するって、並大抵のことではない。
その労力も費用もハンパじゃないと思う。
本人もネットなどを通して支援のお願いをしている。
(こちらをご覧ください⇒ https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=429202331315163&id=100026761989573)
全国的に、その形態は様々なようだが、
有志の力によって「こども食堂」は動き出しているのだという。
ほんの数時間だけど、一緒にご飯を食べたサザンクロスの子供たち、
今日の晩ご飯はどこで誰と食べているのだろうか。
晩ご飯を食べられずに居るんじゃないだろうか。
遠くから何ができる?
とりあえず畑で採れたお芋を送ってあげようか。
寒くなりましたね、真冬なみです。
自宅でこども食堂をしてる素晴らしい方が身近にいらっしゃるんですね、是非とも力になりたいと思いますよね。知ってはいたけど調べてみたら地元にもありました、しかも毎月通っている施設で。知らなかった私はマヌケだと恥じてるところです。でも月1なんですよ、どういうことをしてるのか聞きます。
こやまんさんの友達は仏のような方ですね、真似出来ることじゃないですよね。
それにしても、ディズニーリゾートへ遊びに行ける子供達との差は考えてしまいます。
年間パスポートを購入した話の後ですもの
冬のディズニーリゾートは寒くて震えます!!食事制限のある私達では尚更ですね。ディズニーでカウントダウンしたことありますか?
ユメさん、こんにちは。
こども食堂の子供たち、少し遊び始めれば何ら屈託なく遊ぶのに、
背景に抱えている問題を聞けば胸が締め付けられてしまいます。
そんな子供たちが少なからず居るという、そんな社会に誰がしてしまったのか。
私は、社会を構成する中心的年齢層をはるかに通り過ぎ、
社会の片隅で医療費的お荷物感を抱えながら、なるべく静かにと暮らしていますが、
私たち年齢層が形成してきた社会が産んでしまった問題なのじゃないかと、
胸を痛めます。
ただ、少なくとも、私の家庭で育った子供たちは、今は親となり、
その子供たちとご飯を一緒に食べているようなのが、せめても救いです。
この先は、こども食堂を運営する友人の応援は続けたいと思います。
ディズニーカウントダウンは、若い頃の憧れでしたが、
この歳になって寒さに耐えられる自信がないので、憧れのままにしておこうと思います^^