透析を宣告され、
シャントの手術日も、透析導入入院日も決められた。
何も覚悟が決まらないまま、
透析へのストーリーだけが、どんどん進もうとしてる。
透析に通う人生って・・・・・
なんだか、なにもかも「おしまい」に思えていた。
人生が「終わった」ように思えていた。
一日おきに4時間もベッドに縛られているようになる。
何もできないじゃん。
やっぱり終わりじゃん。
「絶望」って、こういうことを言うのかもしれない。
何かちゃんと考えて覚悟を決めようと思いながら、
何をどのように考えてよいか解らず、
横を向いて正面から何も考えようとせずに、
逃げて、逃げて、いたずらに時間を過ごし、
気がつけば、シャントの手術の日はきていた。
シャントの手術、それは、
透析への確かな第一歩に間違いなかった。
何も覚悟が決まらないのに、シャントの手術は済み、
シャントの手術跡を絆創膏で覆い、後生大事にしている私に、
「透析始まっちゃうと2泊以上の旅行に行けなくなっちゃうね」
妻が言う。
そうだ、透析は一日おきだよ、そうだよ。
そんなことに気が回っていなかったから、新鮮に驚いた。
「ほんとだ、一日おきだもんなぁ」
「今のうちに行っておきましょうか」
「そうだな、そうしようか」
妻は、落ち込んでいる私の気持ちを紛らわそうとしてくれたのだろう。
それに当時は、
旅行先で臨時透析が受けられるだなんて知りもしなかった。
「下呂温泉と高松なんか、どう?」
「いいよ」
正直、どこでも良かった。
2泊するということだけが大事だった。
会社を休んで出かけた。
人生、これが最後の旅行だ、みたいな大げさな心持ちで出かけた。
そう思うと、一刻一刻が貴重で、何を話したらいいか構えてしまう。
妻には、苦労というか迷惑というか、おんぶにだっこになっちゃうなぁ。
それを上手く言葉にできないもどかしさに襲われながら、ハンドルを握る。
「迷惑をかけて申し訳ない、でも、よろしく頼む」
そういうことが言いたいのに、うまく言えない・・・・。
早足で歩いたりすると胸が苦しくなってしまうから、
(後から思えば、それが狭心症だった)
下呂温泉をゆっくり歩き、
乗鞍高原の霧の視界ゼロの眺望を楽しみ、
上高地をあきらめ、
高山の朝市を散策する。
透析が始まってしまう前に、
やっておかなくてはいけないことがあるんじゃないのか、
考えておかなくてはいけないことがあるんじゃないのか、
なにをか落ち着かない気持ちを抱え、
そのくせ腰を据えて正面から考えることからは逃げてしまう。
治る見込みの無い、生涯続くことになる透析治療、
想像できなくはないけど、どうなるのかわからない生活に対して、
絶望と不安と焦燥と、
押しつぶされそうになっていた透析前夜だった。
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