帰還困難区域を目の前にして

福島県いわき市へ出張した。

海岸線あたりの大震災の被災状況や、
可能なら福島第1原発の被害の状況をこの目にできないものか。

そう思って出張の時間を工面する。

 

小名浜港辺りの被災地を車で廻ると、
岩手県辺りで見た光景とは少し違った印象を持った。

 

岩手県辺りでは、
海全体が高くなって海岸線をすべて軒並み飲み込んでしまったようだったが、

 

小名浜辺りでは、
地形によって波による被害の有無が別れたりしている。

極端に言うと、こちらの家は全壊なのに、隣の家は被害が無かったりという、
そんな光景が見られる。

 

震源地からの距離とかの問題なのだろうか。
専門家はきっと何らかの分析をしているに違いない。

 

3年が経過して、
自分の中で薄れかけている被災地への思いとか、
地震への危機感とか、

 

被災地に降り立つと、そういうものが胸を占める。

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地図を確認せずに、
カーナビの目的地を「福島第1原子力発電所」と設定して、
車を走らせた。

常磐道を走ること1時間(富岡IC)で通行止めとなり、
一般道へ降りた。

 

そこには、
「帰還困難区域のため通行証がなければ通行できません」の看板。

 

「帰還困難区域」の言葉は、
テレビで何度か耳にしているような気もするのだが、
それがどういう区域で、どういう制限がされているのか、

 

知らない・・・・。

 

 

それでも検問らしきものも無いので、
一般道をおそるおそるその先へ進んでみる。

 

 

周囲の風景が一変した。

 

 

荒涼とした空気が漂う。

20140516zyosen

 

草で荒れ放題になった土地に、
除染で削り取った土が入れてあると思われる、
黒いビニールっぽい大きなゴミ捨て袋のような袋が、
ズラーっと並べられている。

 

 

あっちにもこっちも並べられたり積まれたり放置されている。

 

 

点々と民家も見えるが、朽ち果てようとしている、と思われる。
誰も居ないってことなんだろう。

 

 

いったい、この風景は何なんだ!
いったい、何をやってるんだ!

 

 

除染したのか?
なんのために?

 

 

この土地も、
このフレコン・バッグも、

 

 

放棄か?

 

 

腹が立って来ると同時に恐ろしくなってくる。

そして、ここに暮らしていた人たちを思って、
しだいに悲しくなってくる。

 

 

浜岡原発30キロ圏内の我々の土地の変貌を垣間見る思いだ。

 

 

 

 

すると、テレビで見たことのある通行止めのバリケードが現れた。
「帰還困難区域のため通行止め」とある。

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ここからはもう完全に進めない。

ここから先が「帰還困難区域」なのかな?

 

 

車を停めて、だけど車から降りるのがためらわれて、
窓を開けて周囲を見渡してみる。

 

 

 

桜並木だ!
もう桜は終わっているが間違いなく桜の並木だ。

 

 

あ、あそこだ、ほら、
「夜ノ森の桜並木」ってテレビでやってた。

 

 

 

 

それでも、
許可証も何も持っていないし、
なんだか長居もためらわれて、
そうそうに引き上げてはきた。

 

 

あのバリケードの向こうはもっともっと悲惨な状況なんだろう。
3年経った今、更に。

 

 

チェルノブイリのようにこの先25年も30年も、
ここに暮らしていた人たちは、ここには戻れないのだろう。

 

 

 

震災直後に大船渡や陸前高田に立った時、
何か言おうとして何も言えず、まったく言葉をなくしてしまったが、

 

この荒涼とした風景、

置きざりにされた風景、

 

これは言葉を失っちゃいけないんだと思った。

 

 

早くここを何とかしようよ。

そして、こんなことになる原発、辞めようよ。

辞めることを国を挙げて考えようよ。

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