キッセイ薬品さんが運営する透析患者向け専門サイト、
「透析新ライフ(http://www.kissei.co.jp/dialysis/)」から、取材依頼があり、インタビューを受け、記事が紹介された。
(記事はこちら⇒)
依頼によると、
「透析治療を受けながら、仕事や趣味でご活躍されている透析患者さんの『声』をご紹介し、他の患者様方に少しでも治療に前向きになっていただくことを目指したコーナー」に、私を載せてくださるとのこと。
以前にも、
バイエル薬品さんの同様のサイト「うみ」に紹介いただいたので、なんとなく想像はついた。
バイエル薬品さんの時もそうだったが、
私は特別なことはしていないので、編集サイドのご期待に応えられるかどうか、はたして疑わしいとお伝えしながらインタビューを受けた。
キッセイ薬品さんに限らず、同様の趣旨であちこちで体験談をみかける。たいていの方は、何か事業を起こしていたり、芸術活動をされていたり、NPOやボランティア活動をされていたり、すごいなぁと感心させられる。
それに比べ、私の場合は、あれこれ手を出すけど、
フォークギターもトレッキングもどれもこれも遊びの域を出ることなく、何かを極めているわけでもなく、まったくお恥ずかしい限り。
それでも、こうしてインタビューにお応えしたことを記事にしていただくと、自分のことなのに、今まで思ってもいなかった発見や新たな気づきがあったり、記事を読んだ家族や友人知人からの感想をもらったりして、またあらためて自分の人生を見つめ直したりする。
インタビューの中で、透析を受け入れることができたきっかけを聞かれたが、的確な答えは今も持っていない。
透析を受け入れること、
それは誰がどんな理屈やデータを並べても容易にはできない。
そんなの受け入れられるわけがない。
そうかと言って、受け入れずに命を落とすのかと言われれば、そうもいかず、嫌だ、困った、どうしよう、どうしよう、自問自答を繰り返し繰り返し、やむを得ず透析を受けて、そうこうしているうちに時間が流れて、そのうち、時間が解決していってくれる。
いや、解決じゃないな、抵抗する気持ちが時間の中に溶けちゃうんだな。解決なんか未だにしていない、でも、仕方ないじゃん。
このブログへ、
大切な方が透析を拒否して命を落とされたというコメントくださった方がいた。その是非はコメントできないが、私にはそれだけの勇気も覚悟もない。
ただ、透析を受けなくちゃいけないということになったその前後、どうしようどうしようと答えのない自問自答のぐるぐるの渦の中は、それでも人生を深く見つめていた、と、
記事を読みながら、改めて思いながら、
その時に自分に言い聞かせたことなど、
時間の流れの中で薄れてしまっていることなど、
もういちど、心に刻み直した。