朝ドラ「あんぱん」で、思い出した「詩とメルヘン」。
(その話はこちら⇒)
「こ、これは、やなせたかしのイラストじゃないか!」
テレビに向かって叫んでしまう…。
「そうか、そうでしょうね、やなせたかしも主人公だもの」
いや、そういう冷静な話じゃないんだ!
50年ぶりに出会ったんだこのイラスト!
何か気持ちが騒ぐんだ!
「昔、詩とメルヘンって冊子があってさ、大好きだったんだ」
「詩とメルヘン?」
「そう、やなせたかしが描いてたんだ」
「へ~。どこかにとってあるの?」
「え?どうかな…捨ててないと思うけど…」
「でも、見た覚えがないわ…」
家中を探した。暇を見つけてはあちこち探した。
ある日、見るに見かねたか家内が聞く。
「いつ頃のことなの?」
「高校生の時だよ…」
「え?高校生の時なの?」
「そうだよ、2年生だったかな」
「それは、大学行くとき持っていったの?」
「いや、うちに置いていった」
沈黙が流れた。
「…それじゃ…」
「!そうか…燃えちゃったか…」
25歳の時、実家は火事で燃え落ちてしまった。
その詩とメルヘンに忘れられないイラストがある。
青年が何かの台に腰を下ろし、顔に両手を当ててうつむいている。その隣りに子供が腰かけている、笑っていたような気がするが確かじゃない…
そのイラストに添えられている詩は、絶望の隣りに誰かがそっと腰かけて、誰なのか聞くと、希望だって答える、というような内容の詩だった。
どうしてもその詩とイラストが見たくなった。
ネット中を探しに探した。暇を見つけては探しに探した。創刊当時の詩とメルヘンは、どれもSOLD表示だ。あっちもこっちも二度も三度も何度も何度も探しに探した。
その甲斐あってか、ついに「希望」という詩とイラストを探り当てた。
これだ!確かに詩はこれだ!が、イラストが違う…。
僕が記憶しているイラストは、こんな、かくれんぼでもしているようなかわいらしさのイラストじゃない。
さらに、探しに探した。
これか?!
絶望のとなり…
記憶の中の絶望の青年はもっと暗く描かれていたような気がしていたが、勝手に想像を膨らめちゃってたのかもしれない。
高校生の僕に刺さって、50年も忘れないでいた詩とイラスト。
良かった見つかった!ついに手繰り寄せた!胸の重い重いツカエがとれた。
70年近く生きてきて、人生に、そうそう”絶望”はない。
家が燃え落ちた時も相当哀しかったけれど絶望じゃなかった。
ただ、透析を宣告された時、あの時はさすがに”絶望”だった…。時間が止まってしまい、人生も止まってしまい、このまま僕の人生は終わってしまうんだ、もう二度と歩き出すことはおろか立ちあがることもできない。そう思った。
でも、隣りに希望が居てくれた。
アンパンマンもこの希望なんだな、きっと。ず~っと誤解していた。
朝ドラ「あんぱん」で、思わずこの50年ほどを必死に探し回った。忘れていたけど、忘れていなかった宝物探しをして、あの頃は解っていなかった大事な宝物に行き当たったような気がする。
「私の名前は希望です」



こやまんさんは透析治療を受けながらも、笑顔も明るく日々の生活も楽しんでおられるように感じていましたが、このようなお考えを潜在意識にお持ちなんですね。なんだか納得です。
素敵な詩とイラストのご紹介ありがとうございます。私も希望の話、忘れないようにしたいです。
ここみさん、こんにちは、お久しぶりです。
多感な頃に受けた刺激は、こんな歳になっても脈々と心身のどこかに流れていたりするんですね。せっかくだから、心身の支えにして生きていきたいですね。
今ふと思いました、ギターもフォークソングも高校生の頃の刺激だ!って。支えのひとつだし希望のひとつにもなっています(^-^)
また遊びに寄ってください。コメントありがとうございました。