9月30日で、透析まるまる6年となり、
10月から、透析歴7年めに突入した。
過ぎてしまえば、6年なんてあっという間のことなのだが、
6年前に今日という日を穏やかに想像はできなかった。
透析を受ける暮らしそのものを受け入れられず、
口にはしなかったが、心の中はぐずぐずぐずぐずしていた。
受け入れられなければ、透析を受けなくても良いのかというと、
けっしてそういうことはなく、
透析だと決まれば、容赦なくコトは進んでいく。
シャントの手術をして透析に備え、
透析導入の入院の日取りが決められ、
2週間くらいで否応なしにその日は来た。
その間、絶望から顔を上げて、
正面から透析を受け入れる覚悟を決めて、
その後の人生、どういう道をどうやって歩いて行くのか、
しっかり答えを出そうと思いつつ・・・・・
その実、顔を背けて、透析に向き合おうともせず、
逃げ腰および腰に腰をひいて、
ただただ時間を見送って、その日を迎えてしまった。
考えても考えなくてもなるようにしかならないのだが、
なるようになるさ、とは思えなかった。
かといって、何か答えを出すこともできなかった。
そういう穏やかじゃない透析導入前夜を送り、
9月30日、透析導入の日を迎えた。
その様子は以前にも書いた。(こちら⇒)
それから、いくらも経たないうちに、透析の暮らしには慣れてしまった。
ちょっとの不便を感じるだけの日常と化してしまった。
あれほど、往生際悪くもがいていたのに。
あんなに大上段に振りかぶって、人生云々って命題を掲げていたのに。
二泊旅行は出来なくなるから、と透析前夜に妻と二泊旅行に出かけた。
悲痛な思いの中で、車を運転中も言葉少なだった。
その後、旅行先でも透析を受けられることを知り、
札幌、水沢、一ノ関、大船渡、福島、名古屋、大阪、奈良、岡山、松江、霧島、鹿児島、と
ずいぶんあちこちで臨時の透析を受けた。
そして、透析5年めには、
透析時間を4時間から5時間へと変更し、
さらにオンラインHDFへの移行という大きな変化があった。
透析6年めには、
これという大きな変化はなかったが、
ほぼオシッコが出なくなったということくらいかな。
オシッコが出なくなるということも、
当初そう聞かされたときには、さぞや苦しい水分調整を強いられるようになるんだろうと、
その日の訪れは一日も遅くなりますように、と懇願した。
しかし、徐々に徐々に変化していくものは、徐々に徐々に日常化していて、
当初想像していたより苦痛なものではなく受け入れている。
透析患者の寿命というか余命は9年だと統計資料を見た時のショックも、
自分の中では、この6年のうちに風化してしまっている。
透析7年めに突入し、60歳定年まで1年半、平均余命まで3年、
そんなことも見据えて、少しは先を見通しておきたいものだと思う。