妻籠宿『いこまや』、だっけ?

tsumagozyuku20140419

-木曽路はすべて山の中-

 

結婚して間もなくの頃だったか、

妻と妻籠宿を訪ねたことがある。

 

 

「だから30年くらい前ってことか?」

「もうそんなになるのかしらねぇ」

「まだひとりも子供が居なかったんだから、そのくらいさ」

「なんていう宿だったかしら?」

「なんだったかなぁ、当時の宿場の旅籠を再現してたんだよなぁ」

 

 

そういう風情にあこがれて、そういう宿を選んだ。

 

 

夜になって、明かりも音も何もない街道の宿場街の旅籠で、

テレビも何もない薄暗い部屋で、

他にお客様と顔を合わせた記憶も無く、

それなりにけっこうな宿泊料がかかり、

 

なのに、

 

20歳台の若い夫婦には、その味を味わえる人生経験も浅く・・・、

 

 

「あっ、これ!?」

「『いこまや』、そうだ、これだ、ここだ!」

「でも、ちょっと違う?」

「間口が狭すぎるか?」

「もう、やってないみたいね」

「ここだと思うなぁ、『いこまや』、そういう響きだった」

 

この時点で、

『いこまや』の写ったこういう写真が妻籠を代表する写真だということは、

まったく承知をしていない。

 

下調べも無しに30年前の記憶を頼りに来てしまったのだ。

 

「きっとここだから、今度は写真を撮っておこう」

 

若い頃に訪ねたところに

30年くらいの歳月を経て訪ねてみると、

心の中に刻まれている情景とはまったく違う出会いがある。

 

50歳台、後半の情景を写真に残す。

 

変わってしまったのは、

風景なのか時代なのか、それとも私たちなのか。


 

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