-木曽路はすべて山の中-
結婚して間もなくの頃だったか、
妻と妻籠宿を訪ねたことがある。
「だから30年くらい前ってことか?」
「もうそんなになるのかしらねぇ」
「まだひとりも子供が居なかったんだから、そのくらいさ」
「なんていう宿だったかしら?」
「なんだったかなぁ、当時の宿場の旅籠を再現してたんだよなぁ」
そういう風情にあこがれて、そういう宿を選んだ。
夜になって、明かりも音も何もない街道の宿場街の旅籠で、
テレビも何もない薄暗い部屋で、
他にお客様と顔を合わせた記憶も無く、
それなりにけっこうな宿泊料がかかり、
なのに、
20歳台の若い夫婦には、その味を味わえる人生経験も浅く・・・、
「あっ、これ!?」
「『いこまや』、そうだ、これだ、ここだ!」
「でも、ちょっと違う?」
「間口が狭すぎるか?」
「もう、やってないみたいね」
「ここだと思うなぁ、『いこまや』、そういう響きだった」
この時点で、
『いこまや』の写ったこういう写真が妻籠を代表する写真だということは、
まったく承知をしていない。
下調べも無しに30年前の記憶を頼りに来てしまったのだ。
「きっとここだから、今度は写真を撮っておこう」
若い頃に訪ねたところに
30年くらいの歳月を経て訪ねてみると、
心の中に刻まれている情景とはまったく違う出会いがある。
50歳台、後半の情景を写真に残す。
変わってしまったのは、
風景なのか時代なのか、それとも私たちなのか。
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