家の片づけをしている。
もう何度めかの大掛かりな片づけをしている。
3人の子供たちが、ほぼ独立していって、家の役割が変わってきている。
だから家に必要なものも変わってしかるべきで、
それに相応しいようにしよと思う訳なのだが、
その前に片づけをしないことにはにっちもさっちもいかない。
そんなことを思いながら、何かのきっかけで、
たとえば、あの椅子が欲しい、だとか、素適なダイニングテーブルが、とか、
そんなきっかけで、ヨシっ!片付けようって、女房と一念発起。
家中をひっくり返して、
だけど、3人の子供たちの荷物に思い出を見つけてしまう。
「ほら、このとき、あの子がさぁ、・・・・・・」
「そうそう、それでお前がさぁ、・・・・・・・」
話が弾み、手が止まり、時間が経ち、
「これは、あの子たちに聞かないと捨てられないんじゃない?」
「そうだなぁ、まぁ、今日はこのくらいにしとくか」
と道半ばにして、ほとんどの荷物を元に戻す。
それを何度か繰り返し、それでもかなりの整理・整頓がついてきた。
要るものと要らないものとを分け、要らないものを捨て、
要るものをわかりやすく収納するこが整理整頓だと教わった。
その通り整理整頓したはずなのに、しばらくすると、家の中が煩雑になってくる。
またひっくり返す。
要るような気がしていたものが、要らないように思えてくる。
でも、そのうち、要るようになるんじゃないかと、捨てるのを迷う。
捨てちゃうのはもったいないしなぁ。
そういえば、断捨離という言葉をやたらと耳にしたことがあった。
詳しくは知らないが、きっとこういうことに何か示唆を与えてくれてるんだろうな。
もったいないとかいう思いを断ち切るために、
人様の考え方に頼ろうかなどと、
人のせいにしようかなどと、片づけの手を止めて、ネットを検索したりする。
今は、本の前で手をとめている。
本箱だけでなく階段の壁などもくり抜いて本棚にして収納しているが、
それでも収めきれないであちこちに積まれてある本を整理整頓しようとしている。
ここ数年に購入した文庫本などは、すでにブックオフへどっさり持ち込んだ。
新しく綺麗な本は、いくらかで引き取ってくれた。
汚れていたり、黄ばんだりしたものは捨てるためだけに引き取ってくれた。
手を止めて迷っているのは、
もう40年も本棚にしまったきりで、開いてみるとすっかり黄ばんだものばかり。
学生時代に読んだものばかりで、
いつか子供ができたとき、子供たちが手に取って読むに違いない、と
そんな想像を膨らめて、6畳一間のアパートの本棚に並べた背表紙を、
その並びまで記憶してしまうほど毎日眺めて暮らした。
たくさん本がある家にしたい。
たくさん本があれば、子供は自然と本を読むようになるだろう。
そして、この本を読んだら、どう思うのだろう、こういう思いを持ってくれないものか、
父親は20歳のころ、こんな本を読んだのか、って関心を持ってくれないものか、
そんなことを一冊一冊本棚に増える本に願った。
だけど、子供たちが高校生・大学生になった頃、
自分は仕事に追われていて、心に余裕もなく、本のことになど気持ちが向かずに
その季節をやり過ごしてしまった。
幸い、子供たちは3人ともよく本を読む子たちで、
何冊かは、子供たちの目にも留まったようだが、
それを語りあう豊かな時間を持つことなく、
子供たちは自分なりの読書姿勢を身に着け、
僕の本は本棚で黄ばんでいった。
その黄ばんだ本が並ぶ本棚を前に手をとめている。
黄ばんでいるうえ、そのころのものは、文字も小さく読みづらい。
自分でももう、もう一度読むことはないんだろうなぁ、と思う。
ましてや、独立していった子供たちが読むなんてことは・・・・・・。
家の片づけをしている。