安倍総理が辞任を表明した。
その会見のTV放送を透析のベッドで見ていた。
安倍総理も病気には勝てないか、
無理もないなぁ、自分もそうだった。
自分と総理じゃ比べようもないのに、
病気で一線を退く思い、ただそこだけに共感して、
透析を告げられた時のことに思いがとんだ。
透析を告げられた時、
何も考えられなくなってしまった。
すべてが終わったように思えた。
透析だって…
そんなばかな…
おしまいだ…
何もできやしない…
人生もう終わりだ…
何をする気力もわいてこない。
何かを考えることすらできない。
それでも、
透析を告げられて、一日、二日と経ち、
少しづつ気持ちが落ち着き、頭も回るようになってくる。
一日おきに病院に通い、ベッドに4時間も拘束されてしまう。
日常生活だって食事・運動・他さまざまな制限を受けるだろう。
そんな状態で、
状態というのは、物理的な時間の拘束や行動の制限はもちろん、
何かを考えたり判断したりする力、精神力の弱さも含めて、
ITの前線で仕事を続けるのは無理だなと思った。
その頃、ITの最前線を突っ走っていた。
いや、突っ走っているつもりだった…。
それが、もう突っ走れない、突っ走りたくない、
そう思い始めた。
結果、第一線から退いた。
こんな状態で仕事を続けても、
期待に応えることはできそうにないし、それどころか、
お得意先や会社や同僚や部下に迷惑をかけてしまうから。
そういう理屈を前面に出して、第一線から退いた。
だけどあれは、
退いたんじゃなくて「逃げた」だったかなぁ。
誰に何を言われても聞き入れられなかったもんなぁ。
身体が健全な状態じゃなくなってしまい、
すでに精神も健全じゃなくなっていたんだろうなぁ。
だって、
健全なる精神は健全なる身体に宿る…だし。
安倍総理の辞任の心中を察するどころか、
都合の良い言葉を思い浮かべ、都合よく解釈して、
今更ながらに自分の言い訳を始めてしまった。
透析を告げられた時のことを書いた記事
⇒「とうとう透析を覚悟する」