東日本大震災から

東日本大震災から10年……
テレビで、新聞で、毎日毎日何らか報道されている。


写真は、
2011年4月17日、三陸鉄道大船渡駅のホームに立ち、
発する言葉を見つけられないままに撮影したものである。

あの時、被災した大船渡の友人を思い、
居ても立っても居られずに、周囲の反対を押し切って、
大船渡へ車を走らせた。

そして、
生きていく価値観が変わってしまうほどの衝撃の中で、
相当にもがいた。

なのに、震災から4年が経過した頃、
自分の中の想いが薄れ始めていると感じ、
それが情けなく、思いを綴った。
今、それを読み返す。 それはこちら⇒

そして、10年。

報道は、
被災した町、被災した現場、被災した工場・職場、被災した商店、被災した学校、被災した家、被災した家族、被災した人、被災した遺族、被災した……
支援する団体、支援する人、支援する…絆……

人ひとりひとりに背景があり、歴史があり、物語があり、心があり、思いがあり、…さまざま抱えて生きているさま…

あっちに的を当て、こっちに的を当て、あの視線、この視線、切り口を変え、これでもかと連日続く。

何故だか哀しくてしょうがないし、辛くてしょうがないし、涙が出てしょうがない。

自分は自分なりに震災と向き合ってきたつもりだし、自分なりの震災からの学びや震災への思いがあるという思いがあるから、報道する側の価値観みたいなものを押し付けられるみたいで報道と向き合うのがたまらなくイヤで、見たくない思いがある一方、そうじゃない、正面から見ようとも思う。

報道する側の価値観もひとつの思いであるし、
良心だろうと思いたいし、
自分の思いを諮るバロメータでもあろうし、
今だからこその学びがあるであろうし…

あの時、いろいろにもがき揺れる思いの中で、行き着いたのは、「本当に大切なものは何か」ってことだったと思う。

そして、それは「家族」なんだと。

今、新型コロナウィルスの禍中にあって、まったく同じところに行き着くんだろうなぁと思う。

災害にでも会わないと、思い知ることもなく、ただのほほんと暮らしていることは情けないが、

本当に大切なものは家族だと、10年経って、はからずも新型コロナに翻弄されて、今再び思い知る。

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