余暇を勉強した人たちと

40歳の頃、余暇の勉強をしたことがある。(その話はこちら⇒
労働基準法の改正で週休2日時代が到来するので、特にサラリーマンの余暇の過ごし方が課題になる、ということだった。そこで、余暇を指導する余暇生活開発士という資格が労働省の肝いりで制定され、その第一期養成に参加した。

その時、グループワークなどを一緒にした仲間が全国に居て、かなり意気投合し、何年かは年に一度顔を合わせていた。が、次第に便りも途絶え、ひとりふたりと年賀状をやり取りするだけになっていた。

その年賀状に「会えるうちに会っておきたいね」みたいなことを書いたら、さっそくのアクションで、熱海で会いましょうという話がすぐにまとまった。さすがは、余暇を学んだ人たちだ…。

岐阜からふたり、山口、東京、そして私の5人が集まった。私67歳が最年少だ。80歳にならんとする仲間も駆けつけてくれた。

熱海駅で待ち合わせし(ちゃんと記録している人の記録では、25年振りだとのこと)、地ビールで乾杯する。乾杯の場所は熱海城の先のヒルトップテラス(ここ⇒)。宿泊は「ホテルニューアカオ」(ここ⇒

25年のブランクは一瞬で埋められ、まるで昨日まで一緒に遊んでいたかのような空気感ではあったが、さすがに人生後半の25年間、何があったのか、今どうしているのか、まずは順番に近況報告から。

週休2日時代は来たが、余暇時代は到来せず、サラリーマンたちは相変わらず働きバチで、余暇生活開発士の資格も自然消滅のようにどこかへいってしまった。だから余暇生活開発士として活動している人なんていないが、さすがに余暇を学ぶような人たちで、リクレーション協会をベースに活躍していたり、自らの余暇を充実させたりしていた。


私も、気張って近況報告を。
透析になってしまって働く前線から逃げてしまったこと、ディズニーで働こうとした思いや面接に出かけたこと、ギター抱えてライブ活動なんかしていること、etc…。

余暇を学んだことは、今の暮らしを支えている。朝から晩まで、いや夜中も、平日も休日も、のべつ幕なし勢い込んで働きづくめ、それをヨシとしていた生き方に、透析を引き金としてピリオドを打たせてくれた。余暇を学んだ何よりの成果だったなぁ。と、あらためて思った。

ただ、余暇を送る今の自分の暮らしに目標とか生き甲斐とか、そういうものはもう必要としていないのも事実で、余暇の学びとは相容れないことも認識した。

それを何か理論武装しようかなぁとか思ったり、まぁ自分がヨシとしているんだから、それで充分かなぁとか思ったり…。

供に余暇を学んだ人たちは、また会おうとは言いながら、次の確かな約束はせずに別れた。

もう会うことはないのだろうな…。

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