東日本大震災を想う(4)

大震災に見舞われた大船渡の友人を訪ねて、(こちら

それからまた時間が過ぎてしまった。

 

ある日、

北海道でバイトをしていた娘が、

北海道からの帰りに、東北を見てみようかなぁと言う。

さっそく大船渡の友人に連絡して、娘の案内を頼んだ。

あの惨状を見ておくことは、

きっと心の糧になると思っているし、

ましてや被害に遭った人と話すことは、

何にも増して人生の糧になると確信している。

 

 

ある日、

その大船渡の友人が東京まで用事があって出てくるという。

「その足、河口湖辺りまで延ばしなよ」

富士山を間近に見るのもいいだろうし、何より妻に会わせることができる。

 

彼は、富士山を仰いで言う。

「すごいなぁ。間近に目にしないとわかんねぇ、なぁ」

「震災もそうだね」

 

自然の美しさも雄大さも過酷さも残忍さも、

説明しようとしても言葉を失ってしまって、うまく伝えられない。

安っぽい言葉で伝えようとすると、大自然の失笑を買うような気がする。

 

震災から学ぶことも、震災の爪痕に触れないと、ほんとうには学べない。

思いの強さとか方向性とかが食い違っていってしまいそうに思う。

家族もあの地に立たせないと、同じ思いを共有しきれない気がする。

 

特に、妻とは、この思いの出発点を共有しておきたい。

この価値観は理屈で納得できるようなモノじゃない気がしていて、

しだいしだいに、そう強く思うようになる。

 

時が過ぎ、彼から自宅を再建したと知らせが入る。

 

「一緒に大船渡へ行ってくれないか」

妻を誘って大船渡へ行く算段をした。

 

大船渡駅前に驚異のスピードで復興したホテルを予約し、

高台にある大船渡病院に透析の予約をした。

 

一関から、気仙沼・陸前高田を走って大船渡に入る。

震災から2年強が経過し、瓦礫はかなり姿を消していた。

 

NHKのあまちゃんが放映されていて、

なんとなく知っているような気にもなっていた岩手だが、

それでもその惨状に妻も言葉をなくしているようだ。

 

もう、それ以上の説明は要らない。

 

彼の新築の家を訪ね、お祝いをする。

 

震災直後、避難生活をしていた農機具小屋のあったところに、

立派な家が建てられている。

 

「どんどん、どんどん、おっきくなっちまっただぁ」

借金の返済が頭をよぎると言いながらも、嬉しそうである。

 

資材も大工さんの日当も日に日に値上がり状態なのだそうだ。

こんな状況でも需要と供給だっていうのか・・・・・。

 

ひとしきり新築の家をお祝いして、

市街の復興の状況を見に行こうと誘ってもらい、出かけた。

彼は、あちこち案内してくれて、妻にいろいろ説明をしてくれる。

 

大船渡のお魚センターで買い物したり、釜石の仮説商店街で食事してみたり、

陸前高田の奇跡の一本松、気仙沼の陸に打ち上げられた大型船、と、

観光客みたいな時を過ごした。

 

しかし、

妻に、震災の爪痕・空気をその目でその肌で感じてもらい、

この経験から、これから生きていくための何かを共有していける気がした。

同じ価値観でモノを考えられる土台が出来るような気がした。

 

つづく

 

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