東日本大震災を想う(5)

大船渡の友人の被災が、私にとっての東日本大震災だった。

(それはこちら 

 

しかし、それと同時にもうひとつ、ひっかかるコトがあった。

 

原子力発電だ。

 

福島第一原発の事故が報じられ、

その驚異と、あまりに自分が原発に無知であることを思い知った。

慌てて、半分物見遊山で、浜岡原発を見に行く。

原発を学習できる施設が併設されていることは知っていた。

 

浜岡原発は、我が家からちょうど30km圏内だ。

 

それはまだ、浜岡原発の停止命令が出る前のタイミングだった。

 

なんだか、とてもクリーンで安全で安くて、いいことずくめなのに、

安全であることは、目の前で覆されたし、

安いことも廃炉を考慮すれば眉唾ものだし、

クリーンかというと核のゴミを処分すらできない・・・・。

 

そもそも、原子力だなど、

人間の知恵で制御でききれないものを扱っちゃダメじゃ無いか。

長崎と広島の原爆記念館を見たタイミングだったので、

原子力爆弾と一緒くたにして、原子力に嫌悪感を抱いた。

 

ごく普通に、

手に負えないモノを使い続けちゃダメだ、っていう方向になぜならないのか。

不思議でならない。

 

考えが飛躍した。

 

原子力発電に頼らないで暮らせないのか。

太陽光発電にすれば自分の家の電気くらいはまかなえるのか。

やってみよう。

 

太陽光発電を取り付けた。

 

我が家は築25年も経っており、耐久性が心配なのと、

屋根の面積が小さく、パネルの枚数が制限されてしまい、

10年では初期投資分の元が取れないかもしれない、云々

 

業者さんはいろいろ心配してくれるのだが、

初期投資分は考慮しなくていい、毎日の電気が自力でまかなえればいいのだ。

数値上だけでも、原子力発電に頼らなくても暮らせる、という満足が欲しいのだ。

 

たとえ自己満足に過ぎなくても、

原子力発電に頼らないから、原子力発電に反対するのだ。

 

それから2年弱、

どうにか我が家の電力量は我が家の太陽光発電でまかなえている。

 

声を大にしたい。

我が家では、浜岡に原子力発電は必要ありません。

 

 

そして、仕事の機会を得て、福島いわき市を訪ねた。

福島第一 原発を訪ねるチャンスだ。

 

仕事を終えて、湯本で透析も済ませて、週末にもう一泊して、

福島第一原発の方へ行ってみようとレンタカーを借りて走り出す。

 

湯本から常磐自動車道を走ること1時間、

富岡ICで通行止めとなり、一般道へ降りる。

 

そこには「帰還困難区域のため通行証がなければ通行できません」の看板。
10キロ圏内へ入ったってことなんだろうか。

知識があいまいだ・・・・・。

それでも一般道をおそるおそるその先へ進んでみる。

周囲の風景が一変する。
荒涼とした空気が漂う。

草で荒れ放題になった土地に、
除染で削り取った土が入れてあると思われる黒いビニールっぽい大きなゴミ捨て袋が
ズラーっと並べられている。

あっちにもこっちも並べられたり積まれたり放置されている。

点々と民家も見えるけど、朽ち果てようとしている。
誰も居ないってことなんだろう。

いったい、何をやってるんだ!

せっかく除染で削り取った土(放射能)を放置したんじゃ、
削り取った意味がまったくなくなるんじゃないのか。

削り取った土地も放置して荒れ放題にするんじゃ、
ここを削り取る意味があったのか、お金をかけて・・・。

住まいも放置させて、荒れていくのに手をこまねいて、
この家に住んでいた人の無念は、誰が晴らしてあげられるのか。

腹が立って来ると同時に恐ろしくなってくる。

浜岡原発30キロ圏内の我々の地域の変貌を垣間見ている思いだ。

すると、テレビで見たことのある通行止めのバリケードが現れた。
「帰還困難区域のため通行止め」とある。

ここからは完全に進めない。
車を停めて、だけど車から降りるのがためらわれて、
窓を開けて周囲を見渡してみた。

桜並木だ!
もう桜は終わっているが間違いなく桜の並木だ。

あ、あそこだ、ほら、夜ノ森の桜並木ってテレビで言ってた。

許可証も何も持っていないし、長居もためらわれて、
そうそうに引き上げてきた。

あのバリケードの向こうはもっともっと悲惨な状況なんだろう。
それは震災から3年経っていた時のことだから、今、更に。

チェルノブイリのようにこの先25年も30年も人は住めないのだろう。

この目で見て、この心で感じて、私は大変ショックだった。

これが等身大の帰還困難地域と空気なのだ。

 

私の力じゃ世の中は変えられないけど、

せめて、東日本大震災から学んで自らの思いや暮らしを変えていくことくらいは、と思う。

 

震災直後、

節電だ、エコだ、計画停電だ、とか日本中がひとつの方向を向いていた。

 

千葉に住む娘が、計画停電があるし、暗くてもいざという時に備えて、

携帯電話を首から提て、部屋の中でも暖房を使わずに厚着をして、etc

そういう暮らしをしてると、笑いながら言っていた。

 

我が家も電灯はLEDに変えて、こまめに消した。

テレビは主電源で切ることにした。

暖房は火鉢だけにした。

 

そういう暮らしができたのだ。

苦にしないで。

 

街中からネオンが消えて、トイレの温風乾燥機も電源が切られ、

必要以上の電力を使っていたのではないかと日本中が反省すらしたのに、

いつの間にか元通りに無駄な電力社会に戻ってしまった。

 

東京タワーはぴかぴか光っていなくちゃいけませんか?

その光を消して、星の輝きを浴びてみたらどうでしょう?

 

大自然の力、地震や津波に勝てないように、

美しさや豊かさも大自然には勝てないんじゃないでしょうか?

 

なのに、

ほんとうに必要かどうか疑問な電気をじゃんじゃん使って、

電気が足りないから、コストがかかるから、と、

原子力発電への道を再開しようとしている・・・・。

 

 

震災から4年を経過した日に、

自分を確かめるために振り返ってみました。

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