年上だけど同僚のように過ごさせてもらってきた同じ会社に勤める先輩がいる。
何か判断に迷った時、いつも彼の考え方を物差しのひとつにさせてもらってきた。
彼は、すでに60歳定年を過ぎ、嘱託勤務で会社に勤務して半年を過ごしている。
私も60歳定年まであと10ヶ月となって、
その先輩に、60歳定年を迎える、ということの所感を聞かせてもらった。
「60歳定年を迎える」物差しが欲しいから。
彼は、定年を迎える数年前、
「この会社にこのまま依存している状態を続けたくはない」と言っていた。
サラリーマンとして見習いたい覚悟だなぁといたく感心した。
なのに、嘱託契約で会社にとどまっているのは、
「後任が育ってないから?」
「いや、後任問題は、あくまで会社の問題であって自分の問題じゃない」
「なるほど、そりゃそうだ」
そもそも、この辺の問題のとらえ方が、自分としては見習いたいところで、
自分は、後任を育てて万全の体制にしてから一線を引かなきゃ、みたいに
大上段に構えたとらえ方をしたがる。
「じゃ、なぜ会社にとどまるの?まだ年金がもらえないから?」
結局のところ、やりたいことが見つからないから、ということらしい。
ここまできて(この歳になって)、
もう何も制限されることなく、誰からも批判されるでなく、
自分の思うまま自由な、言ってみれば、ゴールデンタイムの10年くらい、
あわよくば20年くらい、
何もしない人生を送りたくない。と彼は言う。
どうせ、その後は、自分の体も思うに任せず、意思すらもコントロールできず、
施設に預けられて、施設の若いスタッフに叱られながら死を迎えなきゃならない。
そうなってしまうまでの10年か20年かのゴールデンタイムなんだと言う。
そりゃ、周囲の状況に合わせたり演技したりすることもあるだろうけど、
自分としての揺るがない芯を持ってゴールデンタイムを過ごさなきゃと言う。
「草が生えるのを待っている」大先輩の話を思い出していた。
あれは、20年以上前のこと。
当時は55歳で定年で、「働きづくめの人生にひと休みさせろ」と言って、
大先輩は会社を去った。
なのに、わずか2ヶ月かそこらで、会社に戻ってきて働き始めた(詳しくはこちら)。
やることがなかった、のだ。
それじゃ哀しい、と、身につまされて「余暇」の勉強もしたりした。
60歳定年後、余暇時間は10万時間もある。
それは、20歳から60歳までの40年間働いた時間と同じだけの時間だ(詳しくはこちら)。
先輩は、それを「ゴールデンタイム」と言った。
ゴールドにできるか否かは、自分の考え方、生きる姿勢ひとつだ。
60歳後も、まだ働かせてもらえるのなら働かなきゃ、もったいない。
たとえ賃金が60%に減ってしまっても、無いよりはマシだ。
働くことは美しい、働けることは喜びだ。
という考え方が大半か?
そうだろうか?
自分の芯がぶれている・・・・・。