2015年9月30日で、透析歴まる7年が経過した。
そして、8年めに突入だ。
「今日で、まる7年だよ」
穿刺の時に看護士に声をかけた。
※正式には「看護師」って言わなきゃいけないんですね、今は。
「ぁあ、そう」
感慨の無い口調の返事がかえってきて、なぜか孫の話になった・・・・。
看護師はきっと孫の話を私にしようと思って(準備して)いたのだろう。
「お孫さんはいくつになるの?」
「10歳です」
「そんなに大きいの?ひとり?」
「二人です」
ひとしきり彼の孫の話につきあっていると、彼はハタと気がついたように、
「7年、あっという間かな?」
私の透析歴の話に戻してきた。
だけど、
話の出鼻をくじかれて、透析歴の話に気乗りがしなくなっていた。
「振り返れば、ね。最初はどうなることかと思ったけど・・・・」
その場は、それで話を流した。が、
7年という歳月は、けっしてあっという間ではない。
確かに、合併症みたいなものもなく、これといって大きな不調もなく、
ただ、たんたんと一日置きにクリニックに通っているだけのこと。
だけど・・・・・
どれだけのものを諦めたことか。
着々と積み上げてきたつもりのものをいくつ捨てたことか。
断腸の思いとか、絶望とか、苦いとか苦しいとか辛いとか、
失意とか落胆とか悲観とか、自暴自棄とか、捨て鉢とか、
いたたまれないとか、やるせないとか、やりきれないとか、
打ちのめされるとか、持って行き場のないとか、浮かばれないとか、
そういう類いの言葉を知っている限り並べたてても、
透析を宣告された時の心の状態は表しきれず・・・・・・・・。
透析で人生を終わらされてしまったような思いの中を、
それでもまだ生きていくための一歩が踏み出せず・・・・・・・。
だけど、時間の経過の中で、
しだいに透析は暮らしの中に溶け込んでくる。
深刻に悩み考え続けられない性格なのかな ^^;
諦めたり捨てたりしたものへの未練みたいなものも、
しだいに浄化されて、薄れ消えていく。
そうすると、新しく見えるモノや、新しい見方ができるようになってくる。
多くのモノを諦めり捨てたからこそ、
救われたり、浮かび上がってきたり、見えてきたりしたことも多い。
あのまま突っ走っていたら、
取り返しの付かないところまで走り続けてしまったんじゃないのか。
それは、ほんとうにやりたかったことじゃなかったんじゃないのか。
それは、ほんとうに大切なモノじゃなかったんじゃないのか。
自分は、もっと違う生き方を望んでいるのかもしれない。
ほんとうに大切なモノが他にあるじゃないか。
50歳になる時、腎臓がダメだと宣告されて、52歳で透析を言い渡され、
それから7年もかかって、これからの人生がやっとぼやぁ~っと見えてきた、
ような気がしている。
60歳という節目も迎えるから、
これまでの惰性的延長線上じゃない人生を歩き出そうと、
7年もかかって、やっと確信している。
透析患者の余命が9年だという統計も頭をよぎり、
あと2年しかないじゃないか、と自分に投げかけたりもしながら、
じゃあ、それがどういう人生なのか、って?
それが、もひとつ、これだ!って言い切れないんだなぁ・・・・・・。