緊急事態宣言ーそれぞれの事情

新型コロナウィルスが猛威を振るい、
緊急事態宣言を申請するだの、発令するだの、延長するだの、解除するだの、リバウンドだの、全国一斉だの、関東圏だの、関西圏だの、中部圏だの、あっちの県だの、こっちの県だの、云々

しかし、何を言ったところで、
つまり、緊急事態宣言が発令されようがされまいが、
一定の人たちは出歩くし集まるし大声を出すし……、

困っちゃったよね。

この1年、
2020年3月からのこの1年は、
もう世界中ず~っと緊急事態なんじゃないの?
と、思う。

個人的には、

念願のディズニー三昧の夢が打ち砕かれて、
家内の誕生日をTDLで祝う予約もすべてキャンセルとなり、
やっとの思いで手に入れた年間パスポートも解約に追い込まれ、

県外に暮らす娘たちと会うこともかなわず、
お休みには顔を見せに来てくれていた孫たちにも会えず、
成長過程の孫たちの顔を見に行くことすら断念して、
お盆だってお正月だって……

家内と出かけていた温泉旅行も自粛せざるを得ず、
県外への日帰りのドライブすらも行くわけにはいかず、
桜が咲いたって紅葉が色づいたって雪が降ったって……

毎月行ってきたフォークライブは中止せざるを得ず、
毎年行ってきたフォーク音楽祭も中止に追い込まれ、
音楽イベントは皆無となり、
音楽仲間と顔を合わせる機会もなくなり、

毎年行っていた同窓会旅行も見送らざるを得ず、
同級生たちと行っていたトレッキングも様子見状態で、
限られた数人の同級生の顔だけをたまに見るだけになり、

家内と、
週に1度くらいの食料品の買い物と、
週に2度くらいの外食に出かけるだけの毎日。
それも、土曜日曜は避けてウィークディに済ます。

あ、もちろん、週に3度の透析通いは変わらずあるけど……。
皮肉にも透析通いが暮らしのリズムを支えている始末で……。

多くの時間を家に居て、新聞・テレビ・ネットのコロナニュースに一喜一憂してきたが、この頃はもう万策尽きちゃった感が漂っていて、一喜一憂もしなくなりつつある。

自分のような基礎疾患持ちの高齢者は、新型コロナの予防接種が済んで、安定した治療薬が開発されるまでは、ひたすら自粛せざるを得ないんだろうなと腹をくくったつもりだが、それでも自粛していない人たちの言動をニュースで見聞きすれば、批判したり羨んだりしてしまう。まことにお恥ずかしい限りで、それは年齢がなせる業なのか単なる個人的性癖なのか、できれば年齢のせいにしておきたいが……。

もう世の中は、新型コロナ後の世界を背負って立つ若者たちが動かすのに任せるしかないんじゃないのか。

このコロナで、いかに個人個人の価値観が違うものなのかということを思い知らされている気がする。さらにはその違いを認めざるを得ない気がしている。無理やり同じ船に乗せて同じ方向を向かせることはできない世の中になっている。それをこれまでと同じ方法でコントロールはできない。コントロールするという考え方自体が時代にあっていないのかもしれない。

「コペルニクス的転回」の時なのかもしれない。
これだけ世界中が共通の難問に襲われているんだから、世界的変革が求められているはずで、そういう観点で動けるのはもう年寄りたちではないだろう。

そういう価値観の世の中を生き抜く若者たちが世の中を創っていくしかないような気がする。

年寄りはそれを黙って許し認める。
彼らのルールに従えない年寄りは排除し、彼らが必要な金は工面し、彼らの創る世の中を後押しする。

書いていることが飛躍した……。

繰り返しだけど、
自分は基礎疾患持ちの高齢者(この4月で65歳)なので、新型コロナの予防接種が済んで安定した治療薬が開発されるまでは、ひたすら自粛を覚悟しなくちゃいかんのだろうな、と思う。

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