手術後2日めの夜。
まだ体にはいくつか管が刺さったままで、眠いはずなのに寝つけられなくて、それでもうとうとしていると、
「○○さん、がんばって~!」
隣の部屋からだろう、看護婦さんの悲鳴にも近い叫び声が聞こえてくる。
自分の居る部屋はナースステーション直結の集中治療室的な個室で、この部屋からさらに扉1枚で隣の個室に繋がっている。隣の部屋も重症者用だろう。その隣の部屋から聞こえてくる。
「○○さん、がんばって」
ってことは危ないってことなのか?よくない想像が頭をよぎる。
こんな夜中に突然大変な治療を始めるってこともないだろうし、やっぱり命が危ないってことなんだろう。耳を済ますが看護婦さんの声しか聞こえない。いや、男の人の声が聞こえるような、先生か?勝手な想像か?
「今息子さん呼びましたからね、すぐ来ますからね、がんばりましょう!」
「もうちょっとがんばるか!」
「息子さんもうくるでね!」
看護婦さんの献身的な呼び掛けが夜の病院に響く。
寝る前に点滴をつなげに来てくれた若い看護婦さんの声だ。
ピッピッという心音を刻む音が途切れたり再開したりする。よく聞いているとピッピッが途切れそうになると看護婦さんが呼び掛け、するとピッピッが再開する、そう聞こえる。
「今息子さん来るでね、最後に息子さんとお話するか!ね!」
…”最後”って言った…最後なんだ…胸がざわっとした。
患者さんは男なのか女なのか、お幾つなのか、何も知らないのに自分と同年輩の男性を想像していた。35歳くらいの息子が必死で病院へ車を翔ばしている姿を想像していた。
そして、自分が患者と置き換わったり、息子と置き換わったり、ざわざわドキドキしてきた。
35年ほど前、親父は58歳で胃ガンで逝ってしまった。その危篤の知らせにボクは病院へ車を翔ばしていた。車を駐車場へ廻すのももどかしく、玄関横に乗り捨てて病室へ飛び込んだ。その瞬間、親父は最後の呼吸を大きくして逝った。
間に合ったのか間に合わなかったのか…
自分はずっと間に合ったと思うようにしてきた…
間に合わてやってくれ、息子早く来い!
待っててやってくれ、親父頑張れ!
「○○さん、がんばってぇ~!」看護婦さんの献身的な悲鳴が病室中に響き渡る。
ボクの中では時空を超えてしまって「死」と向き合っていたが、実際は30分位の出来事だったろうか。
やがて看護婦さんの呼び掛けが聞こえなくなり、数人のざわついた空気が流れてきて、ほどなく静かになった。
どうなったんだろう。朝になったら看護婦さんに聞いてみようか、それは野暮かな…
眠ってしまったようだ。息子がお見舞いに来てくれている夢をみたような気がした。
(つづく)
怖すぎる。現場の緊張がつたわってくる。命は永遠ではないけれど、普段は忘れてる。当たり前になりすぎている。生きていること。
惠子さん、はじめまして(かな?)
コメントありがとうございます。
はい、命のこと、自分の最期、震える思いで考えました。
命を、生きていることを見つめなくちゃいけないな、と思いました。
また、遊びに寄ってやってください。