命のはかなさ

安倍晋三元首相が銃弾に倒れ逝ってしまった。

彼は首相になったばかりの頃、南こうせつの野音コンサートに来てこうせつと歌歌ったりして、歳もひとつ上なだけだし、身近に感じて期待もしてきた。

日本のリーダーとして、なかなか手腕も振るってくれて、しかも病と闘いながら、頼もしく嬉しく応援もしていた。が、いくつか闇に感じる事件の報道にその真相は知るよしもないが、不快感も感じるようになっていた。

が、そういう政権や安倍さん個人の功罪みたいなことはさておいて、

同じ世代の人が銃で撃たれて死んだという事態。この日本においてそんなことが起きたという事実。その生々しい報道を透析のベッドで見続けているうち、命のはかなさに胸が震えてきた。

銃で撃たれる寸前の聴衆に訴えかける力強い顔、直後の姿、心臓マッサージを受けている血に染まる姿、意識が無い感じの顔、救急車で運ばれる姿(…この2月僕も救急車で病院に運ばれた…)、ストレッチャーで運ばれる姿(…今僕も透析室へストレッチャーで運ばれてきた…)が生々しく動画で報道される。

その瞬間瞬間の安倍さんは何を思っていたのだろう。意識はどこにあったのだろう。まさかそのまま死んでしまうなんて思いもしていないのじゃないか、思いもしないまま意識が無くなったんだろう(…一昨日、僕も手術室で麻酔で知らないうちに意識がなくなった…)と、テレビ画面に映る瞬間瞬間の安倍さんの顔を見ながら思った。

これからまだやりたいことは公的にも私的にも山ほどあったに違いない、家族との暮らしにだって何かこの先の夢があったに違いない、選挙が済んだらとか…、来年は…とか、5年後に…とか、何か先の計画や思いがあったに違いない(…僕も退院したら、涼しくなったらって思っている…)のに、突然すべて無に帰してしまった。

居なくなってしまったのだ。突然、本人も意識もしない間に。それを生々しく2時間も3時間も何度も次々に繰り返される画像を見続けてしまったのだ…

あんなに世界に名が知れた活躍した人物ですら、はかないにもはなはだしい。ましてや僕ら凡人なんて人知れず居なくなってしまうのだろう。明日かもしれない、いや、次の瞬間かもしれない。

このまま透析中に異変が生じる可能性は銃で撃たれる可能性よりはるかに高い…動脈硬化が足の手術で救われたが次の瞬間、心臓か脳で詰まって終わるかもしれない…

震えるような怖さに襲われる。
月並みな言い方しか思い浮かばないのが悔しいが「他人事じゃない」「明日は我が身」「いつ死んでもおかしくない」

なんか、ちゃんと生きようと思った。
終活とか言ってるのを冷ややかに思っていたが、ほんとに終わりを意識した生き方を始めないといけないのか、そうかなあ、でもなんか違うなあ、そういうことじゃないなぁ。

安倍さんが突然本人も意識しないまま居なくなった…。

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