2022年9月30日で、透析歴14年を経過した。
今日から15年めに入る。
あの日から始まった15年という歳月
絶望の淵からさらに下へと突き落とされて、為すすべなく転げ落ちてしまったかのようだったのに時は止まらず15年。
軽く2,000回以上も透析クリニックに通い、その都度、太い透析針を2本も刺し、その都度、5時間もベッドでじっと過ごしてきた。膨大な時間と労力だ。
穿刺の回数とか、ベッドで過ごした時間とか、計算しようかとも思ったが、むなしくなっちゃいそうなのでやめた…。
透析は、命を維持するために必要不可欠であり、最重要、最優先なわけだが、さすがにもう日常生活のひとコマに溶け込んでしまっている。
まぁ、そうでなくちゃ、日常を過ごすことはできないが…。
ただ、何年たっても、水分だ塩分だカリウムだリンだタンパクだって、口にするものは常に意識している。意識の程度は変わってしまってきてはいるが、意識はしている。
そして、寝ても覚めてもシャントに神経を奪われているし、わずかな体重の増加にも一喜一憂する。
透析に通うことは日常のひとコマだが、いつまでたっても日常の中で常に深く神経を騒がせている。
14年目めこの一年は、特に動脈硬化で痛めつけられた。
右足も左足も動脈硬化で血管が石灰化してしまい、血液の流れが悪くなりすぎて、とうとう手術ということに(その辺の話はこちら⇒)。
動脈硬化は透析患者にはつきものらしく、10年以上も経過すれば無理もない話ともいえるようだが、ボクの場合、若い頃の不摂生のバチが当たっているんだろうなぁとも思える。
24時間働けますかと、日本のモーレツサラリーマンを讃えたような揶揄したような歌が流行った時代を、負けてたまるかと突っ走って、調子にも乗って、酒・たばこ・暴飲暴食・夜更かし・etc…。多分、そのツケ…バチが当たったんだろうと。
透析の宣告がなければ、この15年もまだ懲りずにでっぷり太った体のまま突っ走っていたかもしれない。ある意味、透析のおかげで、酒もたばこもやめてダイエットもして規則正しい暮らしをしている。
この2年はコロナのせいもあり、どこへも出掛けられず、大してお金を使うこともなく、否応なしに規則正しく大人しく暮らしている。
その暮らしに慣れ、どこかへ出掛けることも億劫になりがちで、ましてや何かコトをおこすことなんてもう考えられもしない。ただ淡々と何もない日を過ごし、決められた時間になれば透析に通うだけ。
でも、コロナもよく解らないが、そろそろマスクもしなくていいよってなりそうな空気感だ。が、基礎疾患持ちの高齢者であることに変わりはないので、自己防衛しながら動き出す15年めにしようとも思う。
透析歴15年めのスタートは、ライブ活動だ。
かつて、24時間働いていた頃の仕事の相棒と(彼も体を壊してリハビリ中だが)、リハビリーズというユニットを組んで、歌い始めた。
歌い始めてすぐに僕が手術入院したりして、リハビリやり直しの、再スタートのリハビリーズで、トップバッターで歌わせてもらいます(前座っていうのかな?)
まぁ、ぼちぼちと。