突発性難聴(3)新型コロナウィルスとの闘い

突然の耳の不調で、入院治療へと話がすすんだ。
(その話はこちら→

突発性難聴は、静岡県の難病指定を受けており、
その原因も治療法も確立しておらず、入院して点滴はするものの、
治るか治らないかはやってみないと判らないとのこと。

一日めの点滴が済んで、特に変化はないものの、
翌朝、耳鳴りがザーザーからジージーくらいの音に変化したような、
そんな気がしたが、いつの間にか元通り、ザーザー云っていた。

さすがに、耳鳴りがし始めてから5日も過ぎるので、
耳が慣れ始めている感もあり、自分のことなのに的確に症状を
捉えられない…

感覚的には、ザーザー云いっぱなしの耳鳴りと、
鼓膜の圧迫感が煩わしいばかりで聞こえが悪いようには感じない。

が、聞こえの検査の結果では、
右耳の低音の聞こえが著しく悪かった。

もちろん高音の聞こえも悪いのだが、
それは年齢のせいもあるのだという^^;

点滴で変化があるようなないような、よくわからないまま、
それでも1日、2日と病院生活に慣れてくる。

点滴は相変わらず2本目がじわじわと痛くなり、
また今日も痛くなるのかなぁと、精神的に追い込められる…

透析は、相変わらず10時近くならないとお呼びがかからず、
お昼ご飯は2時間以上遅れの間に合わせのようなメニューで、
気持ちが萎える…

透析の無い日は、朝から点滴だけの治療になり、
スタートの時間によってお昼までかかったりかからなかったり、
お昼にかかって腕が痛くてあがらないと、気持ちが萎える…

ご飯のことばかりで一喜一憂…^^;

3日めだったか4日めだったか、
鼓膜の圧迫感が無くなっていた。

耳鳴りも小さくジージー云っているだけのような…

難聴は、なかなかすんなり治らないとか、
耳鳴りは鳴りやむことなく慣れるしかないとか、
そんな話をネットで見たりするが、なぜか楽観的でいる。

まったく聞こえないというわけじゃなし、
鼓膜の圧迫感が無くなって、どこか痛いというわけじゃなし、
そういうことが気分を楽にしている。


折から世間は、新型コロナウィルスの大流行で、
ついにパンデミックだどうだという嵐が世界中に駆け巡り、
病院も面会制限から面会禁止へと対応を変えた。

そのため、週末の休みになっても、
当然のことながら見舞客は現れず、
洗濯物を交換に来る身内だけがひっそりと病室に現れる。

突発性難聴で入院してるのだが、
新型コロナウィルスとの闘いをしてるような気分。

「面会禁止」隔離状態のような週末の病室

そうはいってもこっちは、
透析と点滴の時間を除けば、きわめて元気なわけで、
シャワーも朝一番で使わせてもらったり、
売店へ珈琲など買いにふらふらと出歩いたり、
スマホはSNSなど覗き過ぎで契約データ量をオーバーし、
図書館で借りてきた本も一日一冊ペースで読んでしまうし、
同じ病室の患者さんの人間観察にも限界があるし、

洗濯物を持ってきてくれる家内とも、
待合室に行ってしばしの時間、静かに話をする。


ほとんど誰とも話をしないので、
声がかれてしまうほど、静かな静かな日々を過ごす。

そして、6日め
点滴が1本になり、痛む方の点滴から解放された。

が、終了直前に点滴液が漏れ始め(内心、大慌て…)、
点滴針の刺し直しという余計な痛みに見舞われた…

7日め、この日は早かった。
点滴と聞こえの検査を終えて退院が予定されており、
朝6時半から点滴が始まった。

聞こえの検査では、
右耳の低音部の聞こえも左耳にはまだ及ばないものの、
一週間前に比べれば雲泥の差で良くなった。

耳鳴りも鼓膜の圧迫もなく、ほぼ治ったと言えるのだろう。


つづく

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