同級生が、またひとり逝ってしまった。
2005年9月、腎臓がダメだって言われて、
タバコもお酒もやめて、必死に減塩してダイエットしていた頃、
血液がダメだって言われたって、
高校の同じクラスの友人が宴席で酒も飲まずに私に言った。
透析患者のブログです。2008年、50歳を過ぎて透析生活者となりました。透析になる前のジタバタした苦悩や、その後の透析を苦にしない(時々苦になりますが・・)暮らしや体験を綴った透析ブログです。心臓バイパス手術があったり、チベット体操でダイエットしたり、フォークソング・ライブしたり、トレッキングしたり、そんな内容です。では、どうぞ↓
同級生が、またひとり逝ってしまった。
2005年9月、腎臓がダメだって言われて、
タバコもお酒もやめて、必死に減塩してダイエットしていた頃、
血液がダメだって言われたって、
高校の同じクラスの友人が宴席で酒も飲まずに私に言った。
大船渡の友人の被災が、私にとっての東日本大震災だった。
しかし、それと同時にもうひとつ、ひっかかるコトがあった。
原子力発電だ。
福島第一原発の事故が報じられ、
その驚異と、あまりに自分が原発に無知であることを思い知った。
大震災に見舞われた大船渡の友人を訪ねて、(こちら)
それからまた時間が過ぎてしまった。
ある日、
北海道でバイトをしていた娘が、
北海道からの帰りに、東北を見てみようかなぁと言う。
さっそく大船渡の友人に連絡して、娘の案内を頼んだ。
大船渡で被災した友人を訪ねた(その話はこちら)。
帰ってから、マスコミの報道にも刺激され、いろいろな思いに駆られる。
この経験から何を学ばなくちゃならないのか、
人生に活きた経験としなくちゃ意味ないじゃないか、
・・・・・・・・・
2011年4月16日、大船渡へ向かう途中、
水沢江刺の病院で透析を受ける(その話はこちら)。
泊まったホテルで朝食を摂っていると、作業服の人が多い。
被災地へ向かう復興支援の人たちだろうか。
被災地へ向かう緊張感のようなものが胸に迫りくる。
東日本大震歳から4年。
正直、思いが薄れてしまっている。
津波に、家も船も仕事場も流されてしまった大船渡の友人が、
なんとか自宅を再建できた辺りから、思いが薄れ始めてしまった。
娘が、ふたりめの出産のため、ひとりめの子供を連れて、帰省している。
そして、ふたりめが産まれ、久しぶりに我が家は賑やかな空気に充ち満ちている。
妻は、その諸々を面倒みるために会社を辞めた。
まぁ、勤めのストレスで体調を壊してもいたので、救いの神だったのかもしれない。
体調を壊してみるみる痩せていく妻を見かねて退職してもらった、というべきか。
「透析とともに生きる」という本に、
視覚障害に陥ってしまった人の話が紹介されていて、
目からうろこというか、大変衝撃を受けた。
要約すると、こういうお話 ↓
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目が見えなくなってしまった方が、
ひとりで暮らしていけるように、がんばって、いろいろ訓練を重ねた。
例えば、朝起きて一番にする「歯磨き」。
練り歯磨きを歯ブラシにちょうど良い分量を載せて歯を磨く。
この練り歯磨きのチューブから適量を搾り出すこと、
そしてそれを歯ブラシの先に載せることが、
いかにも難しく、なんどやっても上手く出来ない。
しかし、ある朝、練り歯磨きを口に絞り出してみると、
それなら比較的たやすく適量が推し量れる。
その上で歯ブラシを口に運んで磨けば、歯磨きはちゃんとできる。
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女房に花を贈る。