60歳定年を考えている

60歳定年に向けてカウントダウンの年を過ごしている。

 

学生の頃、社会に出たら、ひとつの企業に勤め上げ、転職などせず、

適齢期には愛する人と結婚もし、子供も何人か授かり、夫婦仲良く暮らし、

子供はすくすく育ち、幸せに定年を迎え、穏やかな老後を過ごす。と、

漠然と想像していた。

 

その定年を控えて、来し方を思ったり、行く末を案じたりしている。

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こころ旅の風景

NHK・BSで放送されている、「にっぽん縦断こころ旅」という番組。

俳優の火野正平さんが自転車で、読者から寄せられた便りを頼りに、

読者の「こころの風景」を訪ねる、という番組。

 

これが、また味わい深い。

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60歳定年を迎える、ということ

年上だけど同僚のように過ごさせてもらってきた同じ会社に勤める先輩がいる。

何か判断に迷った時、いつも彼の考え方を物差しのひとつにさせてもらってきた。

彼は、すでに60歳定年を過ぎ、嘱託勤務で会社に勤務して半年を過ごしている。

 

私も60歳定年まであと10ヶ月となって、

その先輩に、60歳定年を迎える、ということの所感を聞かせてもらった。

 

「60歳定年を迎える」物差しが欲しいから。

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子供を育てるということ

娘が、ふたりめの出産のため、ひとりめの子供を連れて、帰省している。

そして、ふたりめが産まれ、久しぶりに我が家は賑やかな空気に充ち満ちている。

 

妻は、その諸々を面倒みるために会社を辞めた。

まぁ、勤めのストレスで体調を壊してもいたので、救いの神だったのかもしれない。

体調を壊してみるみる痩せていく妻を見かねて退職してもらった、というべきか。

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障害者の視点

透析とともに生きる」という本に、

視覚障害に陥ってしまった人の話が紹介されていて、

目からうろこというか、大変衝撃を受けた。

 

要約すると、こういうお話 ↓

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目が見えなくなってしまった方が、

ひとりで暮らしていけるように、がんばって、いろいろ訓練を重ねた。

例えば、朝起きて一番にする「歯磨き」。

練り歯磨きを歯ブラシにちょうど良い分量を載せて歯を磨く。

この練り歯磨きのチューブから適量を搾り出すこと、

そしてそれを歯ブラシの先に載せることが、

いかにも難しく、なんどやっても上手く出来ない。

しかし、ある朝、練り歯磨きを口に絞り出してみると、

それなら比較的たやすく適量が推し量れる。

その上で歯ブラシを口に運んで磨けば、歯磨きはちゃんとできる。

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透析歴7年め

9月30日で、透析まるまる6年となり、

10月から、透析歴7年めに突入した。

 

過ぎてしまえば、6年なんてあっという間のことなのだが、

6年前に今日という日を穏やかに想像はできなかった。

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本当はまだ透析しなくても良かった?

本当はまだ、透析しなくても良かったんだろうなぁ、とこの頃思う。

 

いや、透析当初から、そういう思いはあるのだけれど、

そんなこと思うのは、親身に診てくれているお医者さんに対して、

不遜きわまりない、甚だしく尊大なことであると、言い聞かせている。

 

だけど、透析歴5年、6年と経過するうち、

透析に慣れるとともに、透析のある暮らしの限界にも幾度かぶち当たる。

 

そんな時、透析じゃなかったらなぁ、と思う。

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草が生えるのを待っている

60歳定年後の余暇について考えている。

若い頃、総務の仕事をしていた時のこと。

景気が良くて、工場には人手が足りなくて困っていた。

そんな中で、55歳の定年退職を迎えた方が居た。

(当時は55歳が定年だった)

私は、お役目として、退職の手続きをする一方で、

さらに延長して働いてもらえないものか打診した。

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