2011年4月16日、大船渡へ向かう途中、
水沢江刺の病院で透析を受ける(その話はこちら)。
泊まったホテルで朝食を摂っていると、作業服の人が多い。
被災地へ向かう復興支援の人たちだろうか。
被災地へ向かう緊張感のようなものが胸に迫りくる。
透析患者のブログです。2008年、50歳を過ぎて透析生活者となりました。透析になる前のジタバタした苦悩や、その後の透析を苦にしない(時々苦になりますが・・)暮らしや体験を綴った透析ブログです。心臓バイパス手術があったり、チベット体操でダイエットしたり、フォークソング・ライブしたり、トレッキングしたり、そんな内容です。では、どうぞ↓
2011年4月16日、大船渡へ向かう途中、
水沢江刺の病院で透析を受ける(その話はこちら)。
泊まったホテルで朝食を摂っていると、作業服の人が多い。
被災地へ向かう復興支援の人たちだろうか。
被災地へ向かう緊張感のようなものが胸に迫りくる。
東日本大震歳から4年。
正直、思いが薄れてしまっている。
津波に、家も船も仕事場も流されてしまった大船渡の友人が、
なんとか自宅を再建できた辺りから、思いが薄れ始めてしまった。
娘が、ふたりめの出産のため、ひとりめの子供を連れて、帰省している。
そして、ふたりめが産まれ、久しぶりに我が家は賑やかな空気に充ち満ちている。
妻は、その諸々を面倒みるために会社を辞めた。
まぁ、勤めのストレスで体調を壊してもいたので、救いの神だったのかもしれない。
体調を壊してみるみる痩せていく妻を見かねて退職してもらった、というべきか。
「透析とともに生きる」という本に、
視覚障害に陥ってしまった人の話が紹介されていて、
目からうろこというか、大変衝撃を受けた。
要約すると、こういうお話 ↓
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目が見えなくなってしまった方が、
ひとりで暮らしていけるように、がんばって、いろいろ訓練を重ねた。
例えば、朝起きて一番にする「歯磨き」。
練り歯磨きを歯ブラシにちょうど良い分量を載せて歯を磨く。
この練り歯磨きのチューブから適量を搾り出すこと、
そしてそれを歯ブラシの先に載せることが、
いかにも難しく、なんどやっても上手く出来ない。
しかし、ある朝、練り歯磨きを口に絞り出してみると、
それなら比較的たやすく適量が推し量れる。
その上で歯ブラシを口に運んで磨けば、歯磨きはちゃんとできる。
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女房に花を贈る。
9月30日で、透析まるまる6年となり、
10月から、透析歴7年めに突入した。
過ぎてしまえば、6年なんてあっという間のことなのだが、
6年前に今日という日を穏やかに想像はできなかった。
「大阪万博会場へ集まらないか?」
※写真は「南こうせつサマーピクニック love&peace」公式ホームページから
南こうせつが5年ぶりにサマーピクニックをやるという、大阪で。
父親が逝った歳を生きている。
いや、命日(9月22日)を越えたから、父親の歳を越えたと思いたい。
父は胃がんで58歳で逝ってしまった。
なのになぜか56歳だったとずっと勘違いしていた。
NHKの新日本風土記で清水寺のこと、やっていた。
近辺の人たちの早朝に奉仕する姿とか、
清水寺と共に生きる姿を見ていたら、
早朝の清水を訪れたくなった。
女房と休みが合う8月のお盆に、
八坂神社の前辺りにホテルを予約し、
朝、散歩がてら訪ねる静寂の清水に想像を膨らませた。