ボタンホールを作ることに挑戦することにした。
「じゃ、次回から始めます」
「りょうかい、造る場所は?」
「造る人がその時に一番いい場所を決めます」
「じゃペンレス貼ってこれない?」
「え?あ、そうかぁ、そうなるわね」
透析患者のブログです。2008年、50歳を過ぎて透析生活者となりました。透析になる前のジタバタした苦悩や、その後の透析を苦にしない(時々苦になりますが・・)暮らしや体験を綴った透析ブログです。心臓バイパス手術があったり、チベット体操でダイエットしたり、フォークソング・ライブしたり、トレッキングしたり、そんな内容です。では、どうぞ↓
ボタンホールを作ることに挑戦することにした。
「じゃ、次回から始めます」
「りょうかい、造る場所は?」
「造る人がその時に一番いい場所を決めます」
「じゃペンレス貼ってこれない?」
「え?あ、そうかぁ、そうなるわね」
透析患者になって2年半が経過した頃、
毎日繰る日も繰る日も、シャントの痒みに悩まされていた。
つい、ひと掻きしてしまい、
その刺激がさらなる刺激を呼び覚まし、痒くて痒くて耐えられなくなる。
シャントを真っ赤に腫らしたり、掻き傷跡を残したりして透析に臨むと、
「ボタンホールに挑戦してみる?」
「ボタンホール?」
「ペンレス(麻酔シール)を貼らないようにしたいでしょ?」
シャントの風船治療が済み、
だけど手術に使った針は抜かないままに透析の時間を待つ。
針を腕に刺したまま、待合室に腰掛けているのも恐いモノだ。
が、その後にもっと恐いことが待っていようとは・・・・・。
60歳定年後の余暇について考えている。
若い頃、総務の仕事をしていた時のこと。
景気が良くて、工場には人手が足りなくて困っていた。
そんな中で、55歳の定年退職を迎えた方が居た。
(当時は55歳が定年だった)
私は、お役目として、退職の手続きをする一方で、
さらに延長して働いてもらえないものか打診した。
余暇生活開発士という資格をとるために、『余暇』のことを勉強したことがある。
しかし、経済状態の浮き沈みと競争原理の中で、
いつの間にか、余暇を考えることと同時に、資格も消滅してしまったようだ。
が、その時に勉強したことは、自分のこととしてずいぶんな刺激になった。
冠動脈の風船&ステント治療が済み、ベッドのまま病室へ運ばれる。
(その話はこちら→)
絶対安静が要求されるから、ベッドを移すことはしないようだ。
「それでは、今から7時間半は動いちゃダメよ。
7時間半経ったらベッドの上でゴロゴロしていいからね。
その後2時間したらベッドに腰をおろしてイイからね。
でも、まだ歩いちゃダメよ。その後2時間で歩いてイイからね」
心臓冠動脈バイパス手術から1年が経過し、
うまくつながった二本のバイパスと、ふさがってしまった一本のバイパスの
経過状況を検査してもらう。
また、カテーテル検査だ。
この1年は、これでカテーテル3回、心臓手術、シャント手術と、
合計5回も手術用ベッドにお世話になる。
慣れてはきたけど、毎度緊張するシーンだなぁ。
「チベット体操は5つの儀式でチャクラを刺激して、心身を活性化・・・・」
チベット体操のお兄さんは説明してくれる。
だけど、チャクラとか儀式とか言われちゃうと・・・・・・・。
自分が信じる範疇を超えてしまう世界のお話なので、
どうにも抵抗があっていけない。